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人と環境を、心でえらぶ。

2022年があと数時間で終わる。
最近noteを書けていなかったが、今日書かなければちょっとしたモヤモヤを今後一生抱えるかもしれない、と思い年越しそばを作る手をとめてパソコンを開く。

一生モヤモヤするかも、というのは過言かもしれないが、それくらい2022年という年は私の人生において大きな転機になりそうな出来事だらけの一年だった。

何があったかは書くとキリがないし、個人を特定されかねない(一応このアカウントは個人情報を載せないようにしている)ので、いろーんな出来事を経て私という人間がどのように変化したかを、超抽象的に書く。

他人軸から自分軸に

これまでの人生は自分で選んできたように見えて、いつも判断基準が「社会的に良いか」「周りにどう思われるか」だった。世間的に良いと思われることを選べる自分でありたくて、自分がどう感じるかは目を伏せていた。

それでよかったこともあるが、会社員生活に疑問をおぼえて自分の生き方や働き方を考えたとき、「社会的に良い」なんて無くて、どっちを選んでも良くて、自分の生き方を選ぶのは自分自身だということを突き付けられた。

そして私は、そのとき感じた「肩書きを外してみたい」という気持ちに従い、半ば衝動的に1年3か月働いた会社を辞めた。やめてからのことは考えていなかった。

7月から私がしていたのは、ひたすら「自分に合いそうな、もしくは合うかもしれない人と会って話す」こと。もう少し分かりやすく言えば、「この人と働きたい、生きたい」「この人みたいになりたい」と思えるようなモデル探しをした。

滋賀に居たいという気持ちだけは定まっていたので、ひたすら滋賀県内をかけまわり、お店や会社の人に突撃して「どのように今の生き方を選んできたか」などを聞いてまわった。

そんな生活を3か月くらい続けていると、7月は1か月に200人くらい会っていたのに9月には同じ人に何度か会うようになっていた。滋賀県のとある地域、そしてとある団体のひらく場に頻繁に訪れるようになった。

自分の抱いた「この人にまた会いたい」という感情に導かれるように、11月にはそのとある地域に引っ越し、とある団体で働くようになった。気が付いたら働き方に限らず、日常生活のいろんな場面で「自分の意思で選ぶ」ことが習慣づいていた。

周りにどう思われるか、ではなく、自分が何を大切にしたいか、を先に考えて実践に移せるようになっていた。ちょっと行き過ぎてしまって、自分のこだわりや思い込みが激しくなってしまったようにも思うが、あとはバランスの問題。良い感じで慣れていきたい。

私から、私たちに

今、私の周りにいる人たちは本当に素敵な人ばかりと胸を張って言える。この状態なら、「周りに合わせる」ことが自分にとってもプラスに働く。

自分の気持ちとか、周りとか社会とか分けて考えなくても、「周りのみんなが大切に想っているもの=私が大切にしたいもの」になっている。

私の周りには、自分の身体と心を大切にしている人がたくさんいる。自分自身、そして目の前の人の身体と心を大切にするために、食べるものや身に着けるもの、日々の行動を自分の心で選んでいる。

私の周りには、自分たちが暮らす地域や社会、そして子どもたちが暮らす未来を本気で守り、良くしようとしている大人がたくさんいる。そのために他者に寄り添い、真剣に生き方や働き方に向き合う。

家族が増えたような気持ち

来年、私が何をしているかは全く想像がつかないけれど、この人たちがおそらく周りにいる様子は想像できる。

1年前は、2022年の大晦日に誰の顔が浮かぶかなんて想像がつかなかった。というか、これまでの人生で想像がついたことなんて一度もなかった。

誰と共に生きるかなんてタイミングに影響されるものだから分からなくて当然、と思っていたし、それも間違ってはいないだろう。

だけど、いま私の周りにいる人たちは、来年の大晦日にも「大切な人たち」として顔を浮かべることになるだろうと思う。距離感や関係性の変化はあると思うけど、「私たち」の中に含まれていることは確信が持てる。

それってつまり家族のようなものなのかもしれない。血のつながった家族は自分で選ぶことはできないと言われているけれど、家族のような関係性を自分で選ぶことはできる。

そんな環境、関係性を選んだのは誰でもない私であり、私の心を育ててくれたこれまでの24年間に関わってくださった方々のおかげでもある。

「すべてに感謝」と言うと胡散臭く見えるかもしれないが、今は本当にそんな気持ち。

ここまでは、土台作り

2022年上半期が飛び出すための準備期間、そして下半期が基礎工事(土台作り)だとすれば、その基礎の上に構造物をたてるのは2023年。

一緒に生きる人たち、地域、日々の生活の土台が整ったいま、1年前には考えられなかった夢がたくさん描けるようになっている。

単に「会社員では出来なかったこと」とか「若いから難しい」という話ではなく、今の私を含む環境、私たちだから出来そうなこと、やるべきことがたくさん見えるようになった。

2023年、どんな年になるだろう。
いま、私はとてもぼんやりとした、でも明るい未来を、周りにいる人たちと共に見ています。

2022.12.31 

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