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【表現評論】CLAMP作品の「自己プログラム化キャラクター」について その2 乾闥婆王編【漫画】

CLAMP漫画である「聖伝」のネタバレを含んでいます。

この記事は以前の記事(いつの記事だよ)の続きです。

その2ということで、今回は具体的なキャラクターを取り上げます。

前回の記事のワードである「自己プログラム化」に関して、ぱっと思い浮かぶキャラクターが数名いるわけですが、その中でも飛び抜けて狂気を放っている「聖伝-RG VEDA-」という漫画の、乾闥婆(けんだっぱ)王について語ってみたいと思います。こいつは完全に自己をプログラミング化しているキャラです。

■聖伝-RG VEDA-について

深くは語りませんが、1989年から1996年まで連載されたCLAMPのデビュー作らしいです。私もリアルタイムで読んでたわけではありません。内容はインド神話をモチーフにしたもので、圧政をしく帝釈天に対し、夜叉王を中心とした主人公達が反旗を翻すバトルものになっています。

■乾闥婆王について

乾闥婆王は聖伝の女性キャラクターのひとりです。夜叉王の昔馴染みであり、主人公たちの協力者という立ち位置にいます。自分に仕える蘇麻という女性を同行させ、陰ながら主人公一行を強力にサポートし続けるというポジションでした。

ところがこの乾闥婆王、実は帝釈天に仕える四天王の一人、持国天であることが最終盤に明らかになり、敵対することになります。元々敵なのになぜ自分の従者をサポート役として置いたのか。理屈はこうです。

①乾闥婆王は蘇麻を愛していた
②蘇麻は六星という運命を背負っており、帝釈天の敵となる存在だった
③夜叉王は強いので自分の手元に置いとくより預けたほうが安全だと思った
④六星には友人も多かった

理屈はこうです、と言われても、まず理屈以前に前提がおかしいことは、すぐに考えつきます。いやいやと。そもそもこいつは乾闥婆王は帝釈天に仕えているんだと。そう考えるのが自然です。友人とか愛する人が敵対してんだからそっちについて帝釈天と戦えよと。

これが本題の「自己プログラム化」に繋がるわけですが、まあそんな友人だの愛する人だのいう些事よりも、最優先されるプログラムを持ってるわけですね。この人は。どんなプログラムなのか。それは

強い人が正義。強い人が好き。強い人に仕える

という最上位プログラムです。その対象が帝釈天になっていると。

そもそも帝釈天は乾闥婆王の父親を殺害した人物ですからね。そこでこいつは強い、こいつに仕えるべき、だと幼い乾闥婆王は判断して、そこからずっと仕えているわけです。小さい頃から思考が狂ってます。

一方蘇麻は愛してる(唯一愛した相手と言っている)わけですが、でも弱い。弱い奴はあかん。強い人が正義という最上位プログラムに従うと、弱い奴は倒すしかない思考に行き着きます。

自己プログラムを遵守した結果、乾闥婆王は帝釈天の命令通りに蘇麻を殺して、もう生きていても意味がないと言い残して自殺します。一緒に帝釈天と戦うという選択肢なんか一切ありませんし、そぶりもありません。最初から最後まで帝釈天の命令通りに戦い、最愛の人間を殺害し、自殺するという徹底ぶりです。完全に狂気としか言いようがありません。

なぜそんな行動をするのか。作中では「そう決めたから」としか言っていないです。とにかく俺は強い人に仕えるんやと。それは最上位プログラムであり原理なんだと。理屈なんかねえんだと。

決めたことなんていつでも覆すのが人間な訳ですが、いかなる時でもそれを覆さないのが自己プログラム化キャラクターの自己プログラム化キャラクターたる所以ですね。クランプ節。





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