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道はまちがえても方向はまちがえない

昨日は女性3人で親交をあたためてきました。
年齢も暮らしもバラバラだけど、お話ができる間柄で、昨日のテーマをつけるとすると「自分の幸せとは」みたいな感じだったかもしれません。
私だと高校生の年齢に3倍が届きそうですが、女子高生のあの頃のノリ、50代バージョンでしょうか。

その終盤くらいに「カチャッ」と音がして、自分の幸せに照準を定めた感覚になりました。本当に!

今日はこのあたりのことを書こうと思います。

照準を定めてわかったのですが、そう言えばもうずいぶんと自分の幸せに照準を定めていませんでした。
定め続ける気力や体力の枯渇、きっと遠くであろう幸せをイメージするはかなさに耐えられなくなったのかもしれません。
対処することがつぎつぎと現れてくる現実に私自身がうもれてしまった。

自分の状況や状態がどんどん厳しいものになってくると、幸せをイメージすることがなんだか傲慢なことに思えてきてた。
目線が近くに近くに、窮屈で閉塞感ばかりが積み重なっていく。
何とかすることばかり思考して目標を探そうとする、でも目標は幸せじゃない。

自分の幸せの照準を外してる。それに気づいていなかったのが一番こわい。

昨日8歳の女の子に「幸せそうに見える」と言われたので「幸せだよ」と答えました。「しあわせそうに見えない」と言われたとしても「幸せだよ」と答えてたと思う。自分のしあわせに正直な3人、これからもお互いの人生を称えあっていきたい。

ここから先はおまけなんですが、自分の幸せがちっぽけに思えてるとき、何の意味があるんだろうと思うとき、イメージできないときは
「泉のワーク」をしてほしい。

あなたは、美しい泉の前に立っています。
その泉はあなただけのものです。あなた以外、誰もくることができない
安全で安心できる場所です。
これからあなたははだかになって泉に入っていきます。
水温はちょうどよく、寒さは感じません。
あなたは快適な泉でいたいだけ過ごすことができます。
こころゆくまでリラックスできます。
そしてあなたが望むなら泉の水は何色にも変化します。
水色でも金色でも透明でも、あなたの思う色になります。
思う存分に過ごしましょう。
ぐっすりと眠ってもいいですし、泳いでもいい。
からだや肌に水がふれている気持ちのよさを感じてみましょう。

思う存分過ごしたら、泉を出て、服を着て家に帰りましょう。
そしてまた泉に来たくなったらあなたはいつでも来ることができます。

先日39℃ほど発熱したときに無意識に泉のワークをやっていることに気づきました。「えぇっ!」とひかれるのですが、だいたいゴールドの泉を愛用しています。よかったら。


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