「ドーナツを食べた入所者が死亡」逆転無罪判決について思うこと
7年前、長野県の特別養護老人ホームでドーナツを食べた入所者が死亡し、准看護師が業務上過失致死の罪に問われた裁判で、2審の東京高等裁判所は、罰金刑とした1審の有罪判決を取り消し、無罪を言渡しました。
人手が足りないなか、命を預かるプレッシャーを抱える介護業界の皆さんにとって、有罪判決を出した第一審は衝撃的だったことと思います。
罪に問われた准看護師の方にとっては、本当につらく長い期間だったことでしょう。
司法はゼロリスクを求めるのか?
それならば、本人の希望や家族の希望をさておいても、とにかくリスクをなくすという選択肢を取らざるを得なくなる。
ひいては、自分が年をとったときに、リスク回避という大義の名のもとに「動くのは危ないからダメ」と拘束されたり、
「認知症になったら栄養ゼリーしか食べちゃダメ」と好きなものも食べられなくなる世の中になってしまう・・・
本来は、こういったことはゼロか百かという問題ではなく、
本人、家族、介護、医療、そのほか関わる皆が話し合って方法を決めるもので、画一的な正解はないはず。
リスクを減らしながらどう本人の希望に寄り添うか?
そのためにできることは何か?
ぎりぎりの線はどこか?
その話し合いを経て出たこたえであれば、たとえ残念な結果になったとしてもご家族にも納得感があり、民事裁判で損害賠償請求という動きにはなりにくいだろう。
ましてや今回のように刑事事件として個人を告訴するようなことはあってはならない。(警察や検察による事実認定にも怪しいところがあったようだし・・・)
そもそも法治国家である日本の裁判は、善か悪かを裁判官が漠然と断罪するものではなく、「法律」という人間が作った枠組みの、「罪」という人間が作ったカテゴリーに当てはまるかどうか、と判断するもの。
ともすれば、第一審のように、市民感覚からしてとんでもない判決が出てしまうこともあるが、
今回の控訴審では、介護現場の切なる声と世論によって、より現場に即した結論が出て本当に良かった。
司法によって、高齢者の生きる自由を奪われることにならなくて本当に良かった。
わたしは、年をとっても、好きなものを食べたい。
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