15歳少年、香港を燃やす〜〜半歩遅れの現地ルポ(4)
「明日は釣り行きますか? 一緒に行ってもいいですか?」
出会ってから2週間後、もう一度少年にメッセージを送ってところ、翌朝、返事が届いていた。
「ケータイ壊れちゃって、今は母さんの使ってる」
「なるほど。今日はどこか出かける? よかったら、一緒にご飯でもどうですか?」
「OK」
「場所はどこがいい?」
「夜8時、チャーター・ガーデン。前線で会おう」
ちょうどこの日は、香港政府近くの公園で、平和的デモが行われる予定だった。が、時間帯から考えて、平和的デモの途中から暴力的デモが発生する可能性は十分にあった。
「19時30分に公園入り口でもいい?」
「了解」
時間通りに待ち合わせ場所に行ったが、少年の姿はない。トイレでも行っておくかと思って歩き出そうとしたとき、背後から声が聞こえた
「ここにいるよ!」
見覚えのある茶髪が、目に入った。無事会えて良かった。前に会ったときと違って、この日の少年はゴーグルやマスクはしておらず、黒色のズボンに白シャツを着ていた。わりと身軽な服装だ。シャツは袖をハサミで切って、タンクトップ風にしている。ちゃんと顔を見ることができたのは初めてだったが、こうして見ると、ごく普通の若者、あるいは青少年だった。
「久しぶり、仕事は見つかった?」
「うん、今は漁師をやってる」
「漁師? 親方とか先輩とかと一緒にやってるの?」
「いや、一人で漁師やってる」
そんなことが可能なのだろうか。いまいち要領を得ない話だが、仕事については、あとで詳しく聞こう。
「元気にしてた?」
「うん。でも前にあったあと、黄大仙(香港郊外の地名)でバスに乗っていたときに警察の取り調べを受けて、捕まっちゃった。そのときに装備もみんな没収されちゃったんだよ」
警察に捕まったって、おおごとじゃないか。ネットを検索してみると、確かに多数のデモ参加者が一網打尽に逮捕されたとニュースになっていた。
突然の破壊行為
「48時間も警察署に拘束されて、本当に大変だったよ」
そのわりにはケロリとしていて、雑談を続ける。
「日本酒って美味しいの? 一番高い日本酒って何?」
そんなもの分からない。
「美味しいよ。高いのはなんだろう、十四代とかかなあ……」
「へえ、今度香港来るとき、持ってきてよ」
飲ませてやりたい気持ちはあるけど、さすがに15歳のお土産に持っていくわけにはいかないだろう。
「僕の名前、覚えてる? 西谷格。これ、広東語でなんて読むの?」
「さいごっ、がっ! だよ。日本人の苗字って、だいたい2文字か3文字だよね。波多野結衣とかさ。一文字の名前もあるの?」
中華圏でも人気のAV女優の名前を挙げて、いたずらっぽく笑った。
「あるよ。林とか森とか、あとはそうだな……」
今考えると、池とか島とかもあったが、なかなかパッと出てこなかった。まあいい、ただの雑談だ。
デモの開催場所は、当初はチャーター・ガーデンが予定地だったが、エディンバラ広場に変更されたという。広場に向かいながら、雑談を続けた。
「顔、クレヨンしんちゃんに似てるよね」
少年は愛嬌のある目つきと、ぷっくりした頬っぺたが特徴的だった。
「それ、みんなから言われるんだよね」
と言って笑った。香港人から見ても、やはり同じらしい。
「警察に捕まったとき、『俺には日本人の記者の友達がいるんだぞ』って言ってやったんだ」
警察に対するハッタリのつもりで言ったのだろう。だが、そもそも私は新聞社やテレビ局の正規の記者とは異なり、フリーランスの“自称・記者”でしかない。警察権力に対抗できる力など微塵もないが、まあいい。口から出まかせでも、友達と言ってくれたのは嬉しかった。が、ということは、こちらも取材者であると同時に、友人として接しなくてはいけないな……。そんなことをぼんやり考えながら歩き続けた。
広場の手前で、早くも地下鉄の駅入り口をハイキング用ステッキで破壊しようとしている人々がいた。3〜4人ほどで規模は小さいが、少年もすかさず加勢し、頑丈そうな懐中電灯で入り口の看板をガンガンと叩きつけた。
さっきまで和やかに雑談をしていたのに、こうして露骨に破壊行為を見せつけられると、見てはいけないものを見せつけられたような気持ちになる。止めようとする人は、誰もいない。
だが、看板は意外と丈夫で割れない。ほかのデモ隊たちもすぐに諦めてしまい、破壊行為はすぐに終わった。やはり、中心メンバーたちが統一的に行わないと、破壊は続かないのだろう。
広場に着くと、すでに目算1万人近い人々が集まっており、スピーカーを使って演説を行っていた。途中、これまでの犠牲者(政府はデモによる死者はいないとしているが、デモ隊側は不審死など多数の死者が出ていると主張している)のために1分間の黙祷を捧げる場面があった。それまでガヤガヤと騒々しかった空間が、水を打ったように静まった。が、少年は気にすることなく、目を閉じて下を向く人々の間をすり抜けるように進んでいく。ちょっと気まずいが、私もその後を追う。
黙祷が終わり、周囲は再び人混みの雑音に包まれた。
「頑張れよ」の声援
「軍手を探しているんだ」
気がつくと、少年は薄手のネックウォーマーで口元と後頭部を覆い隠していた。首からは防毒マスクをぶら下げ、腰に黒いパーカーのようなものを巻いている。
デモ現場の一角に、折りたたみテーブルを設置している場所があった。テーブルの上にはパンやおにぎりが置かれ「恥ずかしがらずにどうぞ!」との文言。その横には小型のスーツケースや大型のビニールバッグが口を開いた状態で雑然と置かれ、なかには防毒マスクやゴーグルのほか、Tシャツ、タオルなどが置かれていた。
少年はテーブル横にいた男性に話しかけていた。
「軍手ありますか?」
「バッグのなかから、探してみてください」
などと会話をしているのだろう。少年はバッグのなかをガサゴソを漁っていたが、軍手は見当たらないようだった。
さらに歩くと、別の物資ステーションがあった。ここでは冷えピタやアクエリアスの素などを置いていたほか、募金箱もあった。透明なアクリルケースの募金箱には、すでにかなりの100ドル札が放り込まれている。
ここでも軍手は見つからず、さっきの物資ステーションに戻ってもう一度探すと、黄色い軍手を発見。早速開封して、両手にはめた。さらに、防毒マスク用のフィルターを2セットもポケットにねじ込んでいた。
「自分のマスクあるんだから、そんなにいらないんじゃないの?」
「これはもうすぐ使用期限が切れる。念のため多めにあったほうがいい」
防毒マスクのフィルターは、私は土木工事用品店で購入したが、1セット100ドル(1400円)以上するものだ。マスクはデモ参加者の誰もが必要とするものなんだから、独り占めするなよ、という気がした。
デモ現場を歩き続けていると、少年と同い年ぐらいのハイティーンの男女4人組の一行と出くわし、何やら広東語で声をかけ合っていた。顔見知りなのだろうか。怪しまれないよう、私も笑顔で英語や北京語で挨拶をする。雑談中に分かったが、少年がこの日来ていた白シャツは、中学時代の制服の袖を自分で切ったのだという。
「面白いもの見せてあげるよ」
と言われたのでついて行くと、広場のすぐ隣にある中国人民解放軍の香港支部前まで歩き、少年は建物に向かって懐中電灯の強力なライトを照らしてみせた。このライト、お気に入りらしくてさっきも私に見せてきた。どうやって手に入れたのかと聞いたら、
「前線でもらった」
と言っていた。建物内には人の気配が感じられなかったが、道路の200メートルほど前方に、数人の警察の姿が見えた。
「警察がいる。戻ろう」
そう言って、再び人の多い広場に戻ってきた。さっきのハイティーンたちは、いつの間にかいなくなった。広場に戻ったところで、さっきの防毒フィルターが邪魔に感じたのか、ステーションに戻していた。そして、私には「これ持ってて」とペットボトルの水と防毒マスクを預けた。荷物係になれば、少年にとっても私が同行するメリットがあるはず。悪くない役回りだ。
どこで手に入れたのか、少年は黒色のスプレー缶を2つ手にしていて、一つはポケットにしまい、もう一つを手に持っていた。少年は周囲に人の少ない場所に行くと、ライターの火をスプレー缶に当て、ボォーーッ! と火炎放射器のようなことをして遊んだ。周囲からは「おーっ!」という歓声が聞こえる一方、(何やってんだ? 危ねえなあ)という表情で訝しげに見ている人もいた。軍手を欲しがっていたのは、スプレー缶を使うためだったようだ。
広場を歩いていると、少年はたまたま通りがかった中高年男性から「加油(頑張れよ)!」と声をかけられ、ポンポンと笑顔で肩を叩かれることもあった。今の無職生活では、他人から「頑張れよ」なんて言われたり、誉められたりすることなどないはずだ。少年はまんざらでもなさそうな様子で頷く。デモ参加者同士の、こういうちょっとした言葉の掛け合いは、心温まるものがあるのだろう。デモに引き寄せられる理由の一つに違いない。
センスのない落書き
しばらく歩くと、少年は腹が減ったのか、物資ステーションからパンと缶コーヒーをもらい、道端に座ってモグモグと食べ始めた。ずいぶん気ままな感じだ。
これまでは漠然と現場を回っていたが、そのときと比べて、明らかに景色の見え方が変わった。一人に集中することで視点が一箇所に定まり、景色に連続性が生まれるのだ。大発見ができるわけではなかったが、一歩だけ、デモ参加者に近づけた気がした。
広場の近くには歩行者用のトンネルがあり、その入り口には横幅4メートルほどの巨大シートが掲げられ、「熱烈慶祝 中華人民共和国成立70周年」と大書きされていた。黒ずくめの衣装に身を包んだ参加者十数人が適当な足場によじ登り、シートの留め具を切断し始めた。シートが半分ほど剥がれると、下から引っ張り下ろす人たちも加勢し、やがてバサリと地面に落ちた。「おおーっ!」と大きな歓声があがる。デモ隊たちはシートを広げると、その上をあからさまに踏みつけたり、小さくジャンプしたりしている。
少年は得意のスプレーを使って「70」の文字を塗りつぶし、シートを汚して見せた。群衆はシートを踏み飽きると丸く畳み、7〜8人ほどでかついで海のほうに向かって走り出し、水の中へと捨てて沈めた。だいぶキナ臭い雰囲気が漂ってきた。
トンネルの通路にはさまざまな張り紙が貼られ、レノンウォールのような状態になっていた。地面には親中派議員、何君堯の顔写真が、畳半分ほどの巨大サイズで貼られている。何君堯は、ヤクザグループにデモ隊員を襲撃するよう指示した疑いが持たれており、行政長官と同じくデモ側から目の敵にされていた。
通行人は何君堯の顔を踏んで通行していたが、少年はその顔写真に黒色スプレーで落書きを始めた。最初は目玉と鼻の穴を塗りつぶすだけだったが、口元にヒゲを足し、さらに口からゲロを吐いているようにスプレーを噴いた。あまり絵心がなく、汚しているだけのようにも見える。周囲には10人ほどの人が集まり「おー!」と小さな歓声をあげていたが、落書きのセンスが悪いため、あまり盛り上がっていない様子だ。
少年はさらに胸の下に両腕と両足、さらに男性器のようなものを描き足した。画力は極めて低く、完全に小学生レベルだ。周囲からは失笑がこぼれたが、特にダメ出しはない。むしろ、苦笑いしつつもちゃんと男性器を力強く踏みつけて見せる女性の姿もあった。香港人、優しすぎる。
こうした動きの合間に、少年はときどきタバコを吸って、一休みした。香港はタバコが高く、マルボロはコンビニで買うと一箱59ドル(約826円)。この日吸っていたのは、一見マルボロの赤に似た雰囲気の別のタバコだった。
途中、雑踏のなかで少年のかぶっていた黒色の野球帽を指差して、何か言ってきた若い男性がいた。その帽子を欲しいと言っていたらしく、少年は気前よくあげていた。「知り合いだったの?」と聞いたが、そうではないという。デモ現場特有の一体感ゆえに、つい言われるままにあげてしまったようだ。
普段の生活だったら、赤の他人とこうしたやり取りなど、するはずがない。デモ現場というのは一つの目標に集団で向かっていく一体感、さらには高揚感があり、一種のトランス状態に入るのかもしれない。誤解を恐れずに言えば、クラブで身体を動かしている感覚や、祭りで神輿を担いでいる感覚、ハロウィーンで仮装して街を練り歩いている感覚に近い。現実感や日常性というものが希薄になり、気分が大きくなって、酔えるのだ。
”デモ酔い”をした少年は周囲からの無言の期待に応えようとしたのか、徐々に行動に歯止めが効かなくなり、さらに過激な行動に出てしまうのだった。
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