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15歳少年、香港を燃やす〜〜半歩遅れの現地ルポ(3)
平日の9月3日、香港政府庁舎のすぐ裏にある添馬公園(タマル・パーク)で、昼過ぎから労働組合主催の集会があるとの情報を目にし、行ってみることにした。
途中、政府庁舎の前を通ると、かつて雨傘革命を取材したときに見かけた巨大な「レノンウォール」(デモ参加者がメッセージを記した街中の掲示板。当時はレノンウォールという言葉は使われていなかった)となっていた階段が目に入った。見覚えのある景色に懐かしくなったが、壁には繰り返し張り紙を剥がしたノリの跡がポツポツと白く残っており、スプレーの落書きを洗い流した痕跡もシミのように広がっていた。落書きを消しきれずに、真っ黒いビニールで覆い隠している部分もある。その横には「張り紙禁止」「スプレー禁止」の表示板が、虚しく掲げられていた。この数年間に繰り広げられた攻防が凝縮されており、壁全体が疲れ果てているようにも見えた。無機質なコンクリートのビルに過ぎないはずが、もはや歴史的建造物の風格だ。
壁の向かいでは、歩道の植え込みの段差部分に、3人の20代女性が座っていた。公園の場所を聞くと、「エレベーターを登って右のほうに進むとすぐですよ」と教えてくれた。ここで何をしているのかと聞いたら、「ボランティアをしている」とのこと。道案内ぐらいしかやることはないようにも見えたが、友人たちととにかく街に出たいと考えたのだろう。デモについての意見を聞いてみたところ
「警察や政府の問題を明らかにしなくてはいけない。ここでやめるわけにはいかない」
と型通りの回答ではあったが、好意的に対応してくれた。
公園には目算で500人ほどの人々が芝生に座り、前方に用意されたステージに目を向けていた。ステージ上では登壇者がマイクを握り、演説をしている。広東語のため何を言っているかは分からなかったが、ときどき「光復香港! 時代革命!」などスローガンを叫び、観衆も応えていた。地下鉄を破壊したり路上にバリケードをこしらえて火を放ったりするのとは対照的な、極めて穏健で平和的なデモ活動だった。表現の自由、フリーダム・オブ・スピーチである。
だが、観衆のなかにひときわ目を引く参加者の姿があった。上半身に鎧のようなプロテクターを装着し、ひざやひじにも関節が駆動するタイプの防具を着用。大きなゴーグルとマスクで顔面を覆い隠し、一人で壁にもたれかかっていた。かなり気合の入った勇武派の装備だが、この穏健なデモの場にはちょっと不釣り合いだ。とはいえ、勇武派の参加者には前からゆっくり話を聞きたいと思っていた。破壊デモの現場はゆっくり話をする雰囲気ではないが、ここなら少し話も聞けるだろう。
話しかけようと思って近づくと、相手は向こうのほうへ歩き出してしまった。目で追いかけて、相手が立ち止まったタイミングで近寄ると、再びスーッと離れていく。避けられているような、偶然のような、微妙な距離感と動き方だった。少し間を置いて、もう一度近づき声をかけた。
「ハロー、アイムフロムジャパン。ドゥーユースピーク、イングリッシュ?」
「んん?」
相手は明らかに通じていない様子で首をかしげ、彼は近くを歩いていた女性に助けを求めた。英語はまったくダメみたいなので、北京語に切り替えて
「日本人の者ですが、北京語できますか?」
と聞くと、
「ええ、できますよ」
との返答。良かった、コミュニケーションは取れそうだ。
「装備すごいですね。一人で来たんですか?」
「どうも。はい、一人です。ちょっと見に来ようと思って」
「今、何歳なんですか?」
「15です」
耳を疑った。「15歳?」と聞き返すと、「ええ、15です」と答える。暴力的デモの参加者は若者が多い印象だったが、覆面をしているため年齢が分かりにくい。それでも20歳前後がほとんどだと思っていたので、15歳という年齢には驚いた。この日は平日の昼間。学校は行ってないのだろうか。詳しく話を聞こうと思ったが、大型スピーカーから流れる演説の声が少々うるさい。
「ちょっと向こうで話しませんか?」
「ええ、いいっすよ」
人混みの少ない場所に移動し、会話を続けた。
「今は学校は行ってないんですか? 仕事は?」
「行ってないです。仕事はしてない」
「親と一緒に住んでるの? 食事はどうしてるの?」
「家にはあまり帰ってないので、友人の家に泊まったり、公園で寝たりとか。メシは無料クーポン使って、マックで食ったりかな」
家出少年なのだろうか。無職だったら、こんなところで油を売っている場合じゃないだろうに。香港の未来をどうこう言う前に、もっと自分の未来を考えたほうがいいんじゃないの? 色々と心配になった。
デモ隊参加者のオフタイム
「なんでデモに参加しているの?」
「香港のためです。香港の自由と民主のため。俺、デモをやるまではずっと家でゲームばかりしている“廃青(=無気力でクズみたいな青年)”だったけど、今は違う。香港のために、何かしたいんだ」
デモに参加することが、生きがいになってしまっているようだ。
「仕事は探さなくていいの?」
「仕事、見つからないんです。デモが終わったら、また探そうと思う。今はデモに集中したいんで」
うーん、しょうがないヤツを発見してしまった。こいつのやっていることは、単なるに現実逃避じゃないのか? いったいどういう経緯で、こんなことになったのか。
「中学を出てから広東省に働きに行ったけど、1カ月ぐらいで戻ってきたんです。それからは仕事してないです」
中学を卒業してから広東省に行ったのかと聞いたが、「うんうん」と曖昧にしか返事をしない。が、それにしても香港人が中国大陸に出稼ぎに行くとは……。香港の経済は停滞気味だとは聞いていたが、そこまで悪い状態なのだろうか。中卒で職歴ゼロとなれば、仕事は見つけにくいのかもしれない。
「広東省のレストランでホールの仕事をしたけど、月給は2000元(約3万円)。大人数の寮生活で、シャワーはお湯が出ないし、ベッドは板を敷いただけだし、大変だった」
顔がまったく分からない相手との会話は、なんだか話しにくい。顔を少しだけ見せてくれないかと頼むと、無言で真っ黒いゴーグルを斜めにずらして、半分だけ顔を見せてくれた。あどけない二重の瞳がこちら見た。目が合ったが、警戒するようにひどく目を細めていた。不良少年にありがちな表情かも。
「その防具はどうしたの?」
「知り合いから買ったり、あとはもらったり。上半身のプロテクターは、貯金をはたいて1200ドル(約1万6800円)で買った。あとは、ヘルメットはデモ現場でもらいました。外国のお金持ちが、送ってくれるらしいんで」
「“外国勢力”がデモを支援している」というのは中国政府も指摘していることだが、やはり本当だったのか。支援ルートも気にはなったが、彼はそこまで詳しいことは知らないようだ。
「デモが危険なことは分かっているから、遺書も書いたんだ」
デモに全力で向き合っているというのはよく分かったが、デモは毎日あるわけではなく、特に勇武派が表に出てくるような暴力的デモは、ほぼ週末だけ。学校も行かず仕事もしてないとなると、暇な時間は何をして過ごしているのだろう。そのことを聞くと、意外な返事が返ってきた。
「魚釣りかな」
全身を防具で固めたものものしい姿と、海を向かって釣り糸を垂れている姿が、どうにも結びつかなかった。が、釣りならいくらでも時間は潰せるだろうし、お金もそれほどかからない。意外な一面が感じられた。
「親は心配してないの?」
「関係ねえよ。お互いに干渉しないことにしてるんで。母親は『あんたのやってることは社会に対して有害だ。警察を呼んで逮捕させてやる』ってさ。俺のことなんて、どうでもいいんだよ」
家にあまり帰ってないみたいだし、親との関係もあまりよくないみたいだ。15分ほど会話を続けていると、彼はポケットからタバコを取り出し、黒い不織布のマスク越しにくわえて火をつけた。銘柄はマルボロの赤。ニコチンの濃度が高く、いかにも身体に悪そうだ。よく見ると、左耳にはいくつもピアスを開けているし、髪はしばらく前に茶髪に染めたようだ。精一杯の背伸びをしているのだろう。
「さっきはあとを付けられている感じがして、私服警察かと思ったよ」
「ごめんなさい。警察じゃないです。フリーランスでライターをしています」
やっぱり避けられていたみたいだ。でも、どうりでぎこちない動きをしていたわけだ。顔を写さないので写真を撮らせてくれないかと頼むと「ああ、いいよ」とあっさりOKしてくれた。意外と心が広い。
しゃべっているうちに喉が渇いてきた。相手も同じだろう。
「飲み物売っているとこないかな?」
「この辺にはないかな」
この公園の周囲はいわば永田町のような雰囲気で、駅まで戻らないとコンビニがないという。
「物資ステーションに行って、もらってきたらいいよ」
デモ現場では、しばしば無料で水などが配られる。私はできる限り頼らないようにしていたが、少年は気軽に使っているようだ。そういえば、さっきテントの下で水を配っている人たちがいた。
一緒に歩き始めると、途中で20代ぐらいの女性が飲みかけの水をもって座っているのを見かけた。少年は声をかけてペットボトルを受け取り、マスク越しにゴクゴクと飲み干した。相手は女性とはいえ、赤の他人。気にならないのだろうか。大雑把な性格なのだろう。
バキバキに割れたスマホ画面
「家はどのへんなの?」
と聞いたが、
「それは個人情報なので、教えられないね」
と言われてしまった。15歳無職の勇武派デモ隊員。気になる存在だったので、連絡先を交換したいとお願いした。テレグラムで良いのだろうか。
「テレグラムは使ってないんだ」
え、そんなデモ参加者もいるのか。フェイスブックは使っているというので、画面を開いてページを見せてもらった。少年漫画の悪役キャラのような画像を自身のアイコンに使っており、スマホの画面はバキバキに割れていた。
スマホ上で友達申請を送ったが、周囲に人が多すぎて電波が悪く、なかなか相手に通知が届かない。
「電波がよくなったら承認しとくわ」
「いや、待って。今やっておこう」
こういうのは、その場でやっておかないと放置される可能性が高い。スマホ画面の更新ボタンを何度もクリックしてもらい、ようやくつながった。lpれでメッセージのやり取りができるはずだ。
「じゃあ、そろそろいいですか」
そう言い残して、彼は人ごみのなかへ消えていった。またゆっくり話を聞いてみたら、面白いかもしれない。そういえば、彼の顔は半分しか見ていない。全体的には、どんな顔なんだろう。気になって彼の歩いていったほうを追うと、ステージ近くで芝生の上にしゃがんでいた。
「どんな顔か、見せてもらってもいいですか?」
無言でゴーグルをぐいっと上にずらしてくれた。子供らしいつぶらな瞳だで、ようやく15歳らしい素顔が垣間見えた。でも、子供に見られるのが嫌なのだろう。やはり眩しそうに目を細めていた。北島康介にちょっと似ていて、愛嬌がある。
「ありがとう」
これ以上関わるとウザいと思われそうだったので、私は駅に戻り、コンビニでペットボトルのココナッツジュースを買って飲み干した。
その夜、少年にお礼のメッセージを送った。
「今日はありがとう。日本に来る機会あったら、連絡ください」
だが、メッセージに既読がつくことはなく、その数日後に電話をかけても、通じなかった。今思うと、この時から彼との取材は難航していた。もう会えないのかなと思っていたが、いつの間にか既読マークがついていたので、ダメ元でもう一度メッセージを送った。すると、返事が届いた。今までのデモ取材とは違う、何か始まりそうな予感がした。
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