音、そして御託を並べる
5月も半ばを過ぎると、ようやく花粉から解放されて心置きなく窓を開け放てる。午前の清々しい風がレースのカーテンをなびかせて居間を涼しくする。ああ、花粉症でなけりゃ、もっと早くからこの風をあじわえるというのにねえ……。
家のことを終えたあと、居間の床に寝転んでカーテンの隙間から空を眺める。ふいに、遠くから機械の音が響いてきた。道路工事だろうか。ドリルで硬いものをこじ開けるような音。
ドドドドドドドドドドド……。
正確にはドドドドではないこの音を、字で表すとしたら……なんだろう。
雪が降ったころにもブログに書いたが、わたしは音を文字化したいみたいだ。雪が降ったときには雪を踏みしめる音。雨が降れば雨の音。雨の音は雨の音じゃなくて、雨がなにかに当たる音。ともかく聞こえる音を文字化したいのだけれど、思いのほかむずかしい。むずかしい上に耳をそばだてるほどに、出ている音と聞こえている音が乖離しているように思えて、わずかに混乱状態に陥ったりする。
はなしが横道にそれたので、もどします。
寝転びながら音の文字化に気持ちを向けていたら、苦しくなってきた。わたしったら息を止めていたのだ。ドドドドドドドドドドド……。休符がない。音楽じゃないのだから休符などないけれど。音が連なると無自覚に休符をまってしまうのはわたしだけなのか。ああ、息苦しい。いつまで続くのだろう。
そういえば、楽器が美しい音を奏でていても、音の連なりのなかにほんのわずかな間がないと聴いているわたしは息苦しくなる。演奏の美しさや迫力に圧倒されて呼吸することを忘れる場合もあるが、あれは休符のない苦しさとはちがう。
そんなことを考えていたら、またふいに機械音がやんだ。深呼吸をする。そして再びはじまるかもしれない休符なき音の連なりに構える。だというのに、それっきり機械音は響いてこなかった。
少しばかりの間でも、休むって大事。
寝転んでいる自分にそっと、そっと言い聞かせる。
(2018年5月29日 の記事に 加筆修正)
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