全日本スプリント問題はあの文章で本当に解決に向かうのでしょうか
昨年開催の全日本スプリントで起こった各種の問題について、JOAから公式文章が発行されました。
何が起こっていたのかの詳細については上記資料に譲って、この文章に対する私見を述べさせていただきます。
1秒のフライングによる失格等の判断は結局妥当だったのか?
陸上競技では明確に失格と定義されるようですが、オリエンテーリングの競技規則でフライングを失格とする明確な規則はありません。まして予選です。スタートチャイマーが正常に動いていなかった時間すらありました。
そのような状況で過失で1秒フライングした選手を失格にする妥当性はあるのかについて当然議論がなされるだろうと思っていたのですが、ほとんど記述がありませんでした。
他にも、いろいろと不公平を指摘される部分がありましたが、それらについても「何が起こったか」が書かれているだけで、それに対する価値判断を一切下していません。
例えばフライング失格が妥当なんだったら、そもそもその件は報告に載せる必要の全くない話のわけで、問題だと言っておきながらその問題点を指摘しないという極めて変な文章になっています。裁定が妥当だったのかどうかという検証が最も大事なのに、そこに向き合うことを避けて背景の方に論点をすり替えているのではないでしょうか。
フライング失格については羽鳥さんからスポーツ仲裁裁判の提案もありました。
内輪だけで結論を出せないのであれば、外部の客観的な意見を取り入れるという意味でこのような機会を使うことも当然考えてよいのではないかと思います。当然時間もお金もかかるので、こういうことはなるべくなら避けたいところではありますが。
いかにも心許ない「今後について」
それで100歩譲ってそのすり替えられた論点についての記述を見て行きますと、「1.大会の課題・問題点」と「2.原因と背景要因」まではまあそうだろうなとある程度理解できる記述が続くのですが、「3.今後に向けて」がいかにも頼りない。
「スプリント競技検討委員会」と「アスリート委員会」を作るんですって。これほんとに出来るんですかね。全日本スプリントも全日本ロングもリソースがない、リソースがないと散々叫ばれているのに、ちゃんと機能するイメージが持てないです。
「問題が起こりました→じゃあ、ガバナンスをちゃんとやります」っていう方向性は真っ当のように思われますが、そもそも工程管理と組織運営が極めてずさんだがやる気だけはある問題企業に任せざるを得なくなったのはなんでなのかというところから問い直さないといけない話だと思うわけです。
全日本スプリントって大変なんですよ。
まず、テレインがない。国際標準の「簡単だけど多彩で大きなルートチョイス」を提供できる場所、そもそも日本にどれだけありますか?あったとして渉外やり切ることできますか?と。
そして運営負荷が高い。立入禁止への侵入を見張るためにかなりの人手が必要で、1日2レースやスタート待機所の手配などいろんなところで手間がかかります。
最後に参加者が少ない。エリート競技者はともかく、一般競技者にとってわざわざ15分のレースのために遠征する気になかなかなりません。学生もインカレスプリントがあるため全日本スプリントにまで足を向けてくれません。
これだけ大変な大会なのですから、もうやめにしましょうよっていう議論は当然あってしかるべきだし、そこから話を始めないといけないと思うのです。リソース不足を解消しない限り問題企業に丸投げしないと成り立たない状況は一向に改善されません。
じゃあどうするの?
まあそこまでネガティブな話を出すくらいなのですから、「今後について」があれだけ心許ないものになるのは当然っちゃ当然です。書いた人の心中は察して余りあります。
私としては、以下の4つのどれかだと考えています。
・メディア需要・観戦需要を喚起し、PR効果を期待した施策を打つ
・他にパトロンを見付ける(例:2017の長野大町ように7人リレーの収益で全日本スプリントを運営する)
・普通のパークOで実施することを許容する
・日本代表選考会に冠だけ「全日本スプリント」と付ける
長くなるので詳細は省きます。文中にある「政策的なレベルも含めて今後の具体策を検討します」というのはおそらくこのようなレベルの話を想定していると考えられますので、その一助にしていただけたらと思います。
終わりに
2017年の7人リレーの前日でオーガナイザーを経験して全日本スプリントの大変さは身を持って感じています。そこに向けて努力する価値がある大会であって初めて「全日本」の冠に意味が出てくるわけなので、そのような大会が開催されることを切に願っています。
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