帰ってきてくれた赤ちゃんは神様からの贈り物

2018年5月、凍結してある最後の分割胚を移植。
これで本当にもう最後の最後。

受精卵は−196℃の世界から、解凍され、暖かい子宮に入り、眠っていた生命力を呼び覚ます。そしてここからは、自らの力で猛烈な勢いで細胞分裂を繰り返し、私の子宮にしがみつき、根をおろす。私の身体に新しい命が宿る瞬間。
ここは神の領域。不妊治療の偉い先生だって、医学が進歩しても、きっと誰も操作する事はできないと思う。

40歳で体外受精をして子供を授かる可能性は限りなく低く数%だと言われていたけれど、この頃の私は、こんな統計は全く気にも留めていなかった。
35歳から初めた体外受精、昔の私なら検索魔。だけど、実際は40歳になった今の方が自分の身体に自信もあるし、何となくだけど赤ちゃんのいる未来が想像できたりした。
今までの5年間は決して無駄な時間ではなく、未来の赤ちゃんのために、今までお空に帰った赤ちゃん達の分まで強くなったんだと思う。

結果までの2週間、今まで通り、食生活を意識して、穏やかな気持ちで過ごすことができていた。

そしてふと、
神様も見守っていてくれる。
そんな瞬間が何度もあった。
本当に不思議な体験だったけど、
ごく自然に、当たり前かのように。

そして2週間後の診察の日。この日はポジティブ M先生。呼ばれてドアを開ける瞬間から、
「よっしゃー!」
と大きな声が漏れてきた。
そして、ガッツポーズな M先生。
結果を聞く間でもなかった(笑)

分割胚は無事に着床していて、hcgは1700台、しっかりと着床していた。私は着床していることよりも、再びM先生と一緒に喜べた事が何より嬉しかった。無事に子宮にしがみつき、着床に成功した我が子も含め不思議な連帯感を感じていたんだから今思うとちょっと笑える。

だけど、前回の事もあり、手放しで喜んではいられない。M先生もそれは分かっている様子で、すぐに通常モードに戻り、私とM先生は次の目標に向かって話し合う。無事に胎嚢が見え、心拍が確認でき、前回は超えられなかった8週の壁を乗り越えてこそ、今回の移植は成功したと言えるから。

でも、着床さえ継続できなかった私が、再び、hcg1000台を叩き出しているんだから、化学流産ばかりだったあの頃からすれば、明らかに妊娠できる身体になっていた。
橋本病や着床障害を薬でコントロールできているのもあるけど、今まではそれだけではここまで来れなかった。信頼できる先生と治療に臨めた事が本当に心強かったし自分自身としっかり向き合えたからこそだと思う。

その後も順調に胎嚢確認ができ、6週目には心拍も確認できた。

そして8週1日を迎え、その日もポジティブ M先生。内診室に入るも、今までにない緊張感が伝わってきた。平静を装っているM先生だったが、 いつもよりよそよそしく、明らかに緊張している。内診台にあがり、私もギュッと両手に力が入る。そして緊張の瞬間。

動いてる!!!

エコーには力強い心拍がすぐに確認できた。今までで1番強い光を放ち、何だか誇らしげな私の赤ちゃん。
M先生は「○尾さんの赤ちゃん可愛いね〜!」
と終始ご機嫌な様子だった。
「可愛い」って言葉そのものから本当に先生の愛を感じて嬉しかった。
そして可愛いと言われ、まだ2cm弱の赤ちゃんはびっくりしたに違いない笑
そして M先生はエコー画像を、かしこまった口調で丁寧に説明しながら看護師さんが動画に撮ってくれた。

私は先生のそんな姿が可笑しくて笑ってしまい、腹圧でエコー画面が波打った。画面を揺らさまいと笑いを必死にこらえるも、チカチカ光る赤ちゃんも小刻みに揺れて笑っているように見えた。

私達は卒業の日を迎えようとしていた。
そして、出産予定日を聞いて驚き!
2019年2月18日。
幻の出産予定日の1年後。正確には1年と1日。

神様だ!
こんな事できるのは神様しかいない!!


「神様なんていない!」と泣いたあの日から1年後。
私は神様を感じて嬉しくて泣いていた。
神様は私を試したんだ。
大切な事に気づけるように。
きっとこれからの人生でも大切なことを。
そして再び赤ちゃんを宿してくれた。

私の子宮の中で、小さな心臓が動いている。
手を当てても感じることはできないけれど、小さな心臓は生命力に満ち溢れ、私の血液を介して成長しようと鼓動する。なんて尊い命の光。

ここまで本当に長かった、
長すぎたね。。。
よく頑張ったよね、私。

頑張ってくれた私の身体に、赤ちゃんに、治療に関わってくれた先生、スタッフ、周りのサポート全てに感謝します。

本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?