この前書いた小説「資本主義恋愛団体」とモキュメンタリーについて

前々からnoteで何かコンテンツを作りたいと思っており、創作大賞に合わせて書いたのが以下のものでした。

ざっと書いた感想としては、
12000字と小説にしては短めだけど割と良い具合にまとまったと思っている。
必要な要素しか入れたくなかったし冗長な引き延ばしはやりたくないので、このコンパクトさで良い。
我ながら読み返しても結構おもろい。
創作大賞は落ちたけど書いて良かった。

さて、ここでただの感想で終わってしまったら良くない。
今回の経験をどう次に活かすかを考えねば。
自分で書いたものを読み返していくつか気づいたことがある。

意図せずモキュメンタリーになっていた

最近、モキュメンタリーという言葉を知った。
モキュメンタリーとは以下のような作品のことを指すようである。

虚構の物語を、あくまでも事実を伝えるドキュメンタリーとして構成する映像手法である。そのため、ドキュメンタリーの慣例に則って架空のインタビューやニュース映像、関係者の証言などが織り交ぜられてゆく。

Wikipediaより引用

よく考えたら、今回の「資本主義恋愛団体」もこれだなと思った。
虚構の物語を主人公の冷田静(ひやだしずか)の語りによって事実を伝える体で書いているし、LINEやSNS上でその時々の状況が示されるような書き方をしていた。
(厳密に言うと、ところどころ語り手である冷田の感情が出てるので完全なモキュメンタリーでは無いのだが、モキュメンタリーに寄ってるものを書いていたということでお願いします。)

そして、どうして意識せずに自然とそういうものを書いていたのか考えてみると、最近はそういう作品が多いから、色々読んでたら気づいたら自分もそういうものが面白いんだと思っていたからだと思う。

ちなみに、以下に参考として近年流行りのモキュメンタリー小説の記事を載せておく。

今回はさらに、モキュメンタリーについて、どうして近年流行っていて、どうしてそれを楽しく読めるのかを深掘りして考えてみた。

何故モキュメンタリーは流行りやすいのか

①説教くさくないから流行る

団塊の世代の代表者が書いたような、これが俺たちの時代だ!みたいな小説はその時代のスタンダードを説いていて説教くさいが当時はよく売れていた。

これは、社会の構成員の均質性が高かった時代だったから、その社会のスタンダードを書けば対象となるペルソナが多い分売上を見込めたということだと思う。

しかしながら、これはもう売れない。
多様化が進み、社会のスタンダードなどもう無いからである。
今の時代に万人に当てはまる普遍的な寓話のようなものを書くのは難易度が高いし、上手くやれずに偏った考えを押し付けてしまうと炎上ものである。

じゃあどういうものが読まれるのかと考えると、それは、普遍的な常識に全然囚われない、特例的な架空の話である。
そんなわけある?っていうようなめちゃくちゃやってるけど面白い話を書く方が良いんだと個人的には思う。

具体的に作品名を挙げると「変な家」や「悪の教典」のような有り得なさを持った作品は読書体験としてただ面白い。

モキュメンタリーは寓話性やべき論みたいな説教くささが全く無く、ただ架空の出来事で有り得ないことを外から鑑賞できるところが良い。
この有り得ないことをどうやってワンチャン有るかもとどう読み手に思わせて話に興味を持たせるかが次の話になる。

②架空の出来事を読者に有り得ることだと思わせるための趣向を凝らしているから流行る

特例的な架空の話を書くときに荒唐無稽すぎると読む気にならない。

だからそうならないように、まず設定を現実社会に寄せた方が良い。
あたかも実際のことのように見えるフィクション、つまりはリアリティのある架空世界を作る。

さらに、モキュメンタリーの手法で読み手との架空世界の接続を作ることができる。
架空世界と読み手を繋げる方法を以下に書く。
まず、現実世界にいそうな一般的っぽい人を架空世界に巻き込ませる。
そして、巻き込まれた人にナレーション的な役割をさせる。
こうすることで、巻き込まれた一般人視点で架空世界を視聴しナレーションもついている状況で読めるわけである。
これで「モック(擬似)」と「ドキュメンタリー」を掛け合わせたいわば「モキュメンタリー」の構造ができる。

普通そうな人が語るから、読み手はこのフィクションは有り得そうだなと思うし、他人が体験してくれたことだから自分は大変な目に遭わず外から鑑賞できる。
この外から鑑賞できるというところが次の話に繋がってくる。

③野次馬として出来事を外から鑑賞することができるから流行る

要するに体力を使わずに読めるライトな小説の方が、特に近年は好まれているように思う。

たとえば、ミステリー小説だったりノベルゲームの方が読み手に考えてもらって作品に参加させる分没入感は高いが、これは結構能動的に思考しなければいけないし、中々体力を使う。
それに対して、モキュメンタリーは語り手がいて外から鑑賞すれば良いだけなので楽である。
この外から見るというところがミソで、あくまでもその作品と他人のまま関われるという点で良くも悪くも現代的である。
実際、みんな生活に追われて忙しいと思うので、コンテンツぐらい気楽に読み捨てれる方が良い。


リアルな有り得なさを作って読み疲れないライトさも保つ。
これは作品として行ける方向性だから、またこういうことを意識しながら小説を書いてみたい。

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