ぼつらく日記 2021年11月3日

将棋では、勝負がついている場合(いわゆる自分が「詰んでいる」か、相手へ攻める見込みがない)、必ず負けを宣言する。
「投了」がそれだ。

例えば、方法論・過程は間違ってなかったにせよ、結果が出なかった場合、特に勝負ごとなら、まずはいの一番、失敗・負けを認め、謝罪の言葉を丁寧に述べないと、よほど自分を知っている人や強く支持してくれる相手でなければ、「駄目だった部分を認めない奴」と信用を失う。
説明は敗北を受け止めた、相手に受け入れてもらえたことが済んでからだ。

それをメッセージの発し方として解ってないのが特に日本共産党なんだな、だから固定した支持者ばかりで、支持を拡げられないのだな、とこの3日間で痛感する。
語り口で拒絶反応を示されているんだ。

マスコミ報道の問題ももちろんあるが、リベラル周りの、SNSやマスコミにまで発言力のある人達含め、告発調の語りと、話の組立てやタイミングの機微を解ってないから、支持を失う一因になっているのだろう。

自分の今までの語り方含め、どう変えていくか。話法を変えることは、自ずと社会に向き合う態度も変わっていかざるを得ないのだろうか。

「ぼつらく」掲げたわりに、早くも未来思考な話になった。

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