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帝国に挑む(2) ~ちょっと貧乏だった子供時代~

ボクは4人兄弟の3番目で、兄ちゃんと、姉ちゃんと、弟がいた。

父ちゃんは、普通のサラリーマンで、毎日電車に揺られて、朝から晩まで働いた。

母ちゃんは自分を後回しにする人で、ときどき美容室には行っていたけど、自分の服を買ったところは見たことがない。ずっと同じ服を着回していた。

近所には「ダイエー」と「イズミヤ」という二つのスーパーがあって、母ちゃんは、毎朝チラシを舐めるように見ては、「今日は、食パンをダイエーで買って、牛乳をイズミヤで買う」という毎日を繰り返していた。10円でも安い牛乳を買い求めて走らせる自転車の後ろには、ボクか、幼い弟が乗っていた。

「誕生日会」があまり好きじゃなかった。

友達の誕生日会では不二家のケーキが振舞われる中、ボクの家の誕生日会は、母ちゃんの手作りのケーキが出された。恥ずかしかったし、友達に申し訳ない気持ちになったことを覚えている。

家の床が抜けるほどの貧乏じゃないけど、裕福ではなかった。サラリーマン家庭で、子供4人を養っているのだから当然だろう。そのことには、子供の頃から気がついていた。

あれは幼稚園から小学校低学年の頃、今でもハッキリと覚えている記憶がある。

年に一度、家族で外食をした。「やましげ」という近所のステーキ屋さんだ。父ちゃんは「好きなものを食べろ」と言ったが、誕生日会があの調子だ。ボクは家計のことを考えてしまう。高いステーキなんて、とても頼めやしない。

だからといって遠慮してしまうと、父ちゃんが傷つくことはわかっていた。

幼稚園〜小学校低学年の子供に気を使われてしまうことほど、惨めなことはない。子供ながらに一生懸命考えて、「肉はあまり好きじゃなくて、野菜が好きだ」ということにして、「野菜炒め」を頼んだ。

安かったからだ。

肉は、誰かが頼んだものを少し分けてもらった。

「お年玉」も同じ調子だった。

お正月になると、大阪・吹田に住んでいる親戚の家に遊びに行って、「お年玉」をもらった。家計に余裕がないことは分かっていたから、「お年玉」はハナから母ちゃんにあげるつもりでいた。だけど、「家計が大変だから、これを使って」と言って、「お年玉」を渡してしまうと、母ちゃんが傷ついてしまう。足りない頭で一生懸命考えて、「お年玉」を母ちゃんに預けて、返してもらうことを忘れることにした。

兄弟の年齢差が、少し残酷だった。兄ちゃんとボクは5つ離れていて、ボクと弟は6つ離れていた。ボクの服は兄ちゃんの「お下がり」で、その服を弟が着るには、ボロすぎた。

弟は新しく服を買ってもらっていた。姉ちゃんは、一人娘だったので、服を買ってもらっていた。もちろん兄ちゃんは長男なので、服を買ってもらっていた。

服を買ってもらった記憶がないし、そういえば、兄弟の中で、ボクだけ自転車を買ってもらえなかった。理由は、「お下がり」で事足りたらなんだけど、家族の中でボクだけがO型(他は全員A型)だったので、「もしかして、捨て子なのかな?」と本気で疑ったこともある。

誕生日会で不二家のケーキが出てくる友達を羨んだし、洋服や自転車を買ってもらえる兄弟を羨んだ。

こうして、昔の記憶を掘り起こした時に、まず出てきたのは、この思い出なので、他者との比較が招いた「恥ずかしさ」や「嫉妬のようなもの」は、子供心に、それなりに刺さっていたんだと思う。

だけど、だからといって、親を恨んだことは無い。

今でいうところの「限られたリソースの中で」とても大切に育ててもらっていることは、子供ながらに分かっていた。誕生日ケーキを買うことはできなかったけど、毎年、欠かさず作ってくれた。

母ちゃんは、よく「腰が痛い」と言っていた。

いつだったか、その理由を婆ちゃんが教えてくれた。

赤ちゃんの頃のボクは酷く泣き虫で、起きている間、ずっと泣いていたらしい。本当に、ずっと。

母ちゃんは、父ちゃんを仕事に送り出し、兄ちゃんと姉ちゃんの世話をしながら、掃除洗濯料理をしながら、「ダイエー」と「イズミヤ」を行ったり来たりしながら、いつまでも泣き止まないボクをずっとおぶり続け、それで腰を悪くしたそうだ。ボクは、この罪をどう償おうか。

父ちゃんも、母ちゃんも、必死だった。子供4人を生み育てることで、諦めなきゃいけなかった幸せがたくさんあったと思う。今、自分のタイムスケジュールで好き勝手生きている自分が、いかに甘いかを思い知らされる。

たくさん、お金を稼いで、たくさんチヤホヤされているけど、「それが何だよ」と本気で思う。

どう考えたって、世の中の父ちゃん母ちゃんの方が偉大だし、ボクは、彼らが引き受けている数々の苦労から逃げた男なので、せめて、彼らが束の間、その羽を休められるエンターテイメントを提供しなきゃバチが当たる。

そういえば、婆ちゃんはよく「そんなことをしたら、バチが当たるから」と教えてくれたな。今日も頑張ろう。

2020年2月24日 羽田空港にて

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