李安忠の「鶉図」:あれ!あれやんか!!
2022年5月8日(日)
今昔館館長の増井先生と前館長の谷先生が
特別展「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」
に出展する阿弥陀如来像の確認で拙宅に来られました。
仏像を確認してから、お茶を飲んでいただいていたら
真正面の壁にかけてた鶉図を見て、谷先生がなんだかソワソワ。
どこかに電話し始めました。そして、興奮して
「あれ!あれやんか!!」とスマホの検索画面を出して
「これ!これ!」「李安忠の鶉図」と言われました。
私のお気に入りの画が、「李安忠と言えば鶉、鶉と言えば李安忠」
と言われる鶉図の模本とのことでした。
(李安忠は中国・南宋時代(12~13世紀)の画家)
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以下、「遠州流茶道」より引用
この『鶉図』は、日本には東山御物として請来し、足利将軍家に蔵されていました。もともと、この『鶉図』には対をなしていた一幅がありました。しかし、侘び茶の発展と共に、床の間の幅が狭まり、対幅の掛物を掛けられる茶室が減っていきます。
それによって対幅であったこの掛物も、一幅ずつ掛けられるようになり、時代が経つと各々に所有者が表れました。よって、対幅の『鶉図』は一度離れ離れになってしまいます。
しかし、江戸初期になって、遠州によって書院造りの床の間が復活されると、遠州は真ん中に所持していた徽宗皇帝の鶺鴒を、左に李安忠の鶉を配し、右にそれと同じ寸法で、松花堂昭乗に竹雀の絵を描いてもらい、三幅対としました。
遠州蔵帳には三幅対として、以下のように記載されており、昨年の三溪園茶会では、蔀関月(しとみかんげつ)が写した三幅対が掛けられました。
「左・李安忠 鶉」 (りあんちゅう うずら)
「中・徽宗皇帝筆 鶺鴒」 (きそうこうてい せきれい)
「右・松花堂昭乗筆 竹雀」 (しょうかどうそうじょう たけすずめ)
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対の「徽宗皇帝筆 鶺鴒」は神戸大学に預けていましたが
もう1つの「竹雀」は見たことがなく、今も所在不明です。
廣岡家の昭和の「売立目録」の2番目に掲載されてる画でした。
続く~
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文化財修復活動の動画
・100年先プロジェクト(45秒)
・阿弥陀如来像(平安末)(70秒)
・西本願寺門主裏書き「方便法身像」(江戸時代)(58秒)
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