見出し画像

薄れていくもの

亀のような歩みで漫画を描き続けている。去年の初めに描き上げると決めてから1年2ヶ月が過ぎようとしているけれど、現在の進捗は全体の10%くらいで、完成には程遠い。

育児も家事もあって、仕事とそれに付随する勉強の時間も確保する必要がある。せっかく業務も人間関係も慣れてきて、在宅勤務で比較的マイペースに仕事ができる環境であったのに、もっと新しいことを勉強したいからと転職もしてしまったので(同業ではあるけれども)新しく覚えなくてはならない事が山ほどある、数年前同等の慌ただしい日々がまたやってきた。家族や恋人との時間も不可欠なので削りたくない。とにかく時間が足りないのだ。それでもわたしはこの漫画を描き上げたいと思う。


先日、子ども達に「なんの漫画を描いているの?」と聞かれたので「昔あったことを描いているよ。こういう事があったの、覚えている?」と聞き返してみると、2人とも曖昧に笑いながら「うーん、知らない」「なんとなく覚えてるかも、でも、もうあんまり」といった言葉が返ってきた。

人は忘れる生き物だ。楽しかった事もそうでなかった事も、時間の流れとともに少しずつ薄れていってしまう。それはある種の幸せなのだとも思う、忘れた方が幸せな事もあるのだ。


人間には2つの別れ(死)がある、という考えを聞いた事がある。1つ目はその人とお別れした(あるいは、その人が亡くなった)瞬間。そしてその人のことを忘れてしまった時が2つ目の、本当のお別れなのだという。

また、先日スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著「戦争は女の顔をしていない」という本を読んだ。作者は五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない、あの日々に何が起きていたのかを丁寧に拾い上げ、積み重ねていく。作品内にはこんな一節があった。

女たちがじっと自分の内に耳を澄ましている事がよくあった。心の声に。そして話している言葉が心の声とずれていないか確かめている。人間は年をとってくると、今まで生きてきたことは受け入れて、去っていくときの準備をしようとする。ただ、誰にも気づかれずに消えていってしまうなんてあまりに悔しい。何事もなしにそのまま消えていくなんて。過去を振り返ると、ただ語るだけではなく、ことの本質に迫りたくなってくる。何のために、こんな事が自分たちの身に起きたのかという問いに答えを見つけたくなる。




スクリーンショット 2022-02-14 20.07.30



作品の中に出てくる女性たちの置かれたシビアな状況と同等に語って良いかを考えると躊躇するが、わたしはかつて一緒に過ごした人たちのことを忘れたくない。時には一緒に泣いたり笑ったりして過ごした彼女たちのことを、なかった事にして閉じ込めておきたくないのだ。このまま何もしなければ、時間の流れとともに記憶は少しずつ薄れ、わたしはかつて一緒に過ごした彼女たちのことを(わたしの子どもたち同様に)少しずつ忘れていってしまうだろう。

彼女たちにまた会える日がくるのかどうか、わからない。けれどこのまま何も形に残さなければ、わたしに待ち受けているのは彼女たちとの本当の別れだろう。わたしは自分自身のために描きたいし、描く必要がある。


朝は夜明け前から出社して、日が暮れる頃に帰宅する。もう少し日が長くなってくるとまた違うのだろうけれど、平日は明るい光に当たる機会が少ない。夜明け(あるいは、夕暮れ)を眺めながら本を読むのが最近の日常となっている。もう少し現場の仕事を勉強したあとは、また在宅勤務の日々に戻り、現場のとりまとめ業務にうつる予定だ。この慌ただしい生活も少しは緩和されると信じたい。

彼女たちのことを忘れるつもりはない。その上で、わたしは自分自身の生活を粛々と続けていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?