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アコギ回顧録 Vol.14 「マーチン D-45」と「初めてのマイマーチン、D-41」

 ギターを道具(弾くもの、使うもの)として捉え、プレイヤーの視点から見た良いギターとはどのようなものか?その答えを追い求めて50年余り。所有したギター本数も3桁に届くぐらい?!
 その答えと言えるかどうかわかりませんが、過去~現在を振り返って自分なりの考え方をまとめてみようと思いました。アコギ好きの方、興味のある方にとって、少しでも楽しんでいただけること、お役に立つことができれば幸いです。

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「マーチン D-45」
 楽しかった高校生活もあっという間に終わり、めでたく社会人となりましたがアコギの熱はますます上がる一方でした。しかし母子家庭でまだ中学生と小学生の妹がいたため、高校卒業後は毎月給料の3分の2を家に入れなければなりませんでした。「あかん。このままではギターを買うお金を貯めることができひん。なんとかしないと!」という訳で、夜のバイトを始めました。お金はそこそこ稼ぐことができましたが、高校卒業後3~4年間は夜中にしか風呂に入った記憶がありません。昼の仕事が休みでも夜の仕事が休みではなく、どちらも休みという日が一年に一日だけしかなかった年がありました。ホンマにハードな毎日でした。

 昼も夜もひたすら働いて、高校卒の初任給が45,000円の時代に毎月50,000円ずつ貯金をしていました。その頃の休日は楽器屋さんでひたすらギターを見ているか、弾かせてもらっているか、仲良くなった店員さんとしゃべっているのが当たり前になっていました。そんなある日、なんとマーチンのDタイプが全機種ガラスケースの中に陳列されているではありませんか!それまでにも何本かは国産の高級ギターを弾かせてもらったことがありますが、マーチンは触ったことがありませんでした。仲良しだった店員さんにダメ元でと思って勇気を出して聞きました。「D-45、弾かせてもらえるかな?」そうしたら二つ返事で「ええよ。」この瞬間嬉しいと言うより「うわーっ、D-45やぞ。マーチンやぞ。でぇーよんじゅうごーやぞーっ!」訳の分からん叫び声が頭の中を駆け巡っていました。そして・・・。

 チューニングされたD-45を手に取り、コードを押さえ(たぶんEではなかったかと思います。)ジャラーンとならした瞬間、背中に旋律が走り全身にさぶいぼ(鳥肌)が出てきました。「なんやこれ!これがギターの音か!」今まで自分が弾いてきたギターとは全く次元が違う素晴らしい音でした。この時の衝撃は今でもはっきり覚えています。初めて弾かせてもらったマーチンがD-45というのも贅沢な話ですが、これが記念すべきマーチンとの出会いでした。 (1973年のことです。弾かせてもらったD-45はたぶん1972年製。)

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写真のギターはМARTIN D-45 1975年(現在も所有中です)

「初めてのマイマーチン、D-41」
 自分にとって初めてのマーチン、記念すべきギターは1972年製D-41でした。ケースも一番初期のブタ鼻のブルーケースでした。かなり無理をしましたが、キャッシュで購入しました。D-41、当時はまだ日本に数えるぐらいしかなかったと思います。これでまわりのみんなも本物のギターバカと認めてくれたようで、後輩の中には『気が狂ったんじゃないの?』などと言っていた奴もいました。でもそんな悪口も全く気にならず、毎日毎日ギターを弾いては歌いまくっていました。仕事も相変わらず二足のわらじをはいたままで、朝から夜中まで働いていましたが、空いている時間はほとんどギターに費やしていました。

 家に遊びにきた友人にD-41を弾いてみる?と言っても、怖くて触ることができない。そんな友人がたくさんいました。当時D-41はそれほど高価で、見ることすら珍しいギターでした。

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ピックガードのみ


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写真のギターはMARTIN D-41 1969年製(以前所有していました。今は友人が持ってくれています)

 拙い文章をお読みいただき、誠に有難うございます。皆様の感想、ご意見をお聞かせください。
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宛先 e-mail:mail@acogian.com または twitter(@acogibucho)にお願いします。


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