見出し画像

アコギ回顧録 Vol.48 「“たら”と“れば”の話」

 ギターを道具(弾くもの、使うもの)として捉え、プレイヤーの視点から見た良いギターとはどのようなものか?その答えを追い求めて50年余り。所有したギター本数も3桁に届くぐらい?!
 その答えと言えるかどうかわかりませんが、過去~現在を振り返って自分なりの考え方をまとめてみようと思いました。アコギ好きの方、興味のある方にとって、少しでもお役に立つことができれば幸いです。

「“たら”と“れば”の話」
 誰にでもあると思います。“たら”と“れば”の話。長いアコギ生活(?)を送ってきましたから、ネタはそれなりにあります。思い出しながら、忘れることができないいくつかを綴っていこうと思います。
 
“たら”と“れば”の話その1「プリウォー OOO-45」
 はじめて神戸の“ヒロ コーポレーション”に行った時、1968~1969年のMARTIN D-45を探していると言ったら、「それやったら同じぐらいの値段で戦前のOOO-45が買えるよ。」と言われました。しかもかなり状態の良いものということでした。結局1年後に1969年製のD-45を買うのですが、あの時プリウォーのOOO-45を買っていれば・・・。
 とはいうものの、ここ最近ではあまりにも値段が高騰してしまい(おそらく数千万円)、持っていたとしても怖くて使えなくなっているのじゃないでしょうか?それはそれで、ギター弾きとしては不本意ですよね。当時はギターといえばDタイプが主流で、スモールサイズのギターはほとんど認知されていない状況でした。自分もOOOサイズのギターには全く興味がなく、ほとんどスルーでした。そう思うとエリック・クラプトンのアンプラグドの影響はすごいなと思います。
 今でも当時のヒロ コーポレーションのカタログを持っていて時々見ているのですが、メチャ状態の良いOOO-45が載っています。ちなみに当時聞いた価格は150万円ぐらいとのことでした。

当時のカタログ

プリウォー OOO-45、D-45 1968年、Dー41 1969年、他にもプリウォーの
OOOやOO、1940年代~1950年代のD-28など、ヨダレの出そうなギターがゴロゴロしていました。しかもコンデションも抜群!こんな時代があったんですよね。

“たら”と“れば”の話その2「プリウォー D-45」
 “ヒロ コーポレーション”に初めて行ったのが昭和62~63年ごろでした。その前だったか後だったか記憶が定かではありませんが、個人でアメリカからギターを輸入しているブローカーと知り合いました。その人から「アメリカの有名なミュージシャン(すみません。そのミュージシャンの名前は忘れましたが、知っている名前でした。)の所有するD-45が売りに出てるけど、買わない?」というオファーがありました。当時の価格で400万円でした。さすがにおいそれと手が出せる価格ではありませんでしたが、もし買っていれば・・・。
 ただ自分はコレクターではありませんので、弾かずに買うことは考えられませんでした。なので実際に日本に持ってきてもらって弾いてしまったら、気に入らなくても断ることが難しくなっていたかもしれません。そういうリスクを考えると、やっぱり買うことはなかったのではないかと思います。 余談ですが、プリウォーのD-45も何本か弾かせてもらったことがあります。残念ながら自分が弾かせてもらった中に「欲しい!」と思ったものはありませんでした。言葉で表現するのは非常に難しいのですが、いわゆる”生きている音“ではなかったからです。(反応が悪く、張りのある音がぜんぜん出ていない感じでした。)ほとんどのヴィンテージギターに感じる問題ですが、きちんとセットアップされていないギターばっかりだったので余計にそう思ったのかもしれません。後で述べようと思いますが、ヴィンテージギター市場では、オリジナルであることが一番重視されます。そのことが楽器としてのクオリティを著しく下げてしまっているのではないか?と思っています。

“たら”と“れば”の話その3「プリウォー OOO-28」
 この話も時期がいつ頃だったか、記憶が定かではありません。“ヒロ コーポレーション”での話です。下取りだったのか委託だったのかも覚えていませんが、もともと“ヒロ コーポレーション”で販売したプリウォー OOO-28が下取りで入荷したとのことでした。(プリウォー OOO-28を下取りにって、いったいどんなギターを買ったんやろ?)1936年製で、状態はEX+ぐらい。多少の使用感はありましたがクラックなどはなく、見るからに状態のよいギターでした。価格は95万円。もし買っていれば・・・。
 これも当時はDタイプのギターにしか興味がなかったので、そのままスルーでした。

“たら”と“れば”の話その4「YAMAHA LL-150D」
 これについては、アコギ回顧録 番外編⑧ アコギにまつわる御茶ノ水界隈(楽器店街)の思い出話をご参照ください。
https://note.com/nishino30320/n/nf6a704106403


“たら”と“れば”の話その5「ERVIN SOMOGYI」
 これも“ヒロ コーポレーション”での話です。時期もいつだったかはっきりとは覚えていませんが、1980年代後半だったと思います。初めて“ヒロ コーポレーション”でSOMOGYIというギターを見せてもらいました。
 モデファイドDのノンカッタウェイで、サイド・バックはハカランダでした。トップの材質が何であったかも覚えていません。たぶんシトカではなかったかと思っていますが、記憶に自信がありません。当時はまだフィンガーピッキングという言葉も知りませんでしたので、そのギターにも全く興味がありませんでした。見せてもらっただけで触れることもせず「あ、そうですか。」で終わってしまいました。
 その時聞いた価格は65万円。今の日本での価格がどれくらいなのかよく知りませんが、SOMOGYI GUITARのウェブサイトを見たら基本プライスが40,000ドルでした。今のレートで税込みなら、600万円オーバーかも?です。
 もし買っていれば・・・。


“たら”と“れば”の話その6「MARTIN D-28 1942」&「MARTIN OOO-45 1940」Etc.
 時は1989年2月2日のことです。初めて、アメリカはニューヨークへ旅行に行きました。最大の目的は、有名なギターショップ“マンドリンブラザース”へ行くこと。そして、良いギターがあれば買ってくることでした。
当時はまだインターネットなどがなく、情報もほとんどない時代でした。“マンドリンブラザース”の住所だけは、日本で調べてわかっていました。しかし、ニューヨークへ着いてから住所をよく見直したら“マンドリンブラザース”がマンハッタンの中ではなくスタッテンアイランドの中にあることに気が付いて愕然としました。しかしそんなことではあきらめがつかずマンハッタンの街中でスタッテンアイランドの地図を買い、何もわからないままフェリーに乗ったのでした。(ご存知の方がおられるかもしれませんが、このフェリーは映画プリティウーマンで有名になりました。)
 スタッテンアイランドに着いてからもどのバスに乗って良いのかわからず、なかばやけくそで「ええいっ、こうなったらもう歩いて行ったる!!」という気になり、地図を頼りにひたすら歩いて“マンドリンブラザース”を目指しました。そして歩くこと1時間余り(ぐらいであったと記憶しています。1時間半ぐらいだったかもしれません。)ついに“マンドリンブラザース”にたどり着きました。
 結局この時はSANTA CRUZのTONY RICE D(インディアンローズウッド)を買ったのですが、その時勧められたのが「MARTIN D-28 1942」だったのです。めっちゃ良いコンディションでした。当時の価格はキャッシュで10,500ドル。ドル=円のレートが140円ぐらいだったと思います。日本円で147万円ほど。
 もし買っていれば・・・。
 
 その時にもらった“マンドリンブラザース”のカタログです。

 このカタログにはこの他に「MARTIN OOO-45 1940」も載っていました。これは、現物は見ていませんが、カタログで見る限りトップは多少の使用感ありで古いオーバースプレー、サイドもオーバースプレー、バックとネックはリフィニッシュという説明でした。価格は12,000ドル。日本円で168万円ほどでした。
 他にも目を引くギターがたくさんありました。ほんの一例ですが、MARTIN D-28 1959 All original Excellent very clean condition で3,000ドル(当時の日本円で42万円)、1966年のD-28がExcellent conditionで1,800ドル(当時の日本円で25万円ちょい)でした。
 みんなまとめて、あの時買っていたら・・・。
 インディアンローズウッドのSANTA CRUZのTONY RICE Dが1,786ドルでしたから、当時のSANTA CRUZがいかに高価であったかがよくわかると思います。(当時は完全なハンドメイドで、月産2~3本でした。)

SANTA CRUZのTONY RICE Dの領収書


 拙い文章をお読みいただき、誠に有難うございます。皆様の感想、ご意見をお聞かせください。 またアコギに関する相談等がございましたら、どんなことでもOKです。遠慮なくお尋ねください。
宛先 e-mail:mail@acogian.com または twitter(@acogibucho)にお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?