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コロナワクチンと学生対応

1.コロナワクチン・ラプソディ

 2019年末に存在が確認され、2020年初頭から世界的なパンデミックに発展した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)ですが、驚異的な速さでワクチンが開発され、2020年末頃より各国はワクチン獲得に躍起になりました(参考)。日本国内でも2021年には医療関係者や高齢で持病のある人々から順にワクチン接種が進み、職域接種という職場での集団接種や、自治体による大会場での集団接種など、多くの国民がワクチン接種を行いまいました。

 筆者の勤務先でも2021年6月下旬から職域接種が急転直下で開始されました。しかしこのとき、巷ではワクチンに関する様々な流言飛語が飛び交っていて、多感な二十歳前後の若者を多く要する大学の教員としては多分に思うところがありました。

 当時は(2022年5月の今もですが)、ワクチンの集団接種によってCOVID-19の蔓延を食い止めたい、というのが国是であったと思われます。実際、医療従事者の接種率は非常に高く、高齢者も基礎疾患持ちの人々からもの凄い勢いで接種が進んでいましたから、キーポイントは重症化例があまりないけれども活動が活発な20-30代の接種率であると喧伝されていたように記憶しています。

 しかし、集団免疫の獲得に向かうためとはいえ余りに急な施策は様々な軋轢を生みだしました。日本国民には元々ワクチンに対する禁忌感情が少なくなかったこと()、社会の混乱期によく現れる陰謀論がワクチンと結びついていたこと(参考)と言ったワクチン接種への障壁だけではなく、ワクチンを接種しない人々をのべつ幕なしに非国民であるかのように扱う風潮も一部では見られました(困ったらここ)。つまり、ワクチンを接種するという判断にも、接種しないという判断にも、大きなネガティブ要因がありました。

2.ゼミでの対応

 このように、2021年は「ワクチン接種の強い推奨」があるなかで「ワクチン禁忌感情」や「ワクチン強制感情」が渦巻いていましたので、情報の取捨選択や価値判断において混乱してしまう学生が出てしまうのではないかと懸念しました。

 なので、せめて(筆者の手の届く)指導学生だけでも、科学と医学と統計による客観的情報と、個々人の特殊事情やポリシーといった主観的事情とを冷静に分析した上で個々に接種の可否を決めて欲しいと考えました。

 そこで、2021年6月におけるある週のゼミでは、予定を急遽変更してCOVID-19ワクチンについての情報収集と議論をしてもらうことにしました。特に念を押したのが「科学的あるいは医学的なデータや知見に基づく議論をすること。ただし最終的に接種するかしないかは各人の自由意志であって、自分の見解と異なっても尊重して欲しい。また、接種の有無によって人格を否定したり差別してはなりません」ということでした。

 ゼミの日、研究室の全員がワクチンについて真面目に調査してくれました。例えば、今回のワクチンが「mRNAワクチン」と呼ばれる新しい方式のワクチンであることが「反ワクチン」派の言い分の一つとなっているという報告や、HPVワクチンに見る日本人のワクチン禁忌感情を統計データに基づいて批判する報告などもありましたし、基礎疾患があってCOVID-19に罹患するのがとても怖いためゼミを待たずに既に接種しましたという報告もありました。その一方で、(COVID-19と関係なさそうな)持病がありワクチンへのリスクがどうしても拭えないため出来れば皆に先に接種してもらって副反応の大まかな様子が見たいという意見もありました(素直で良いと思います)。

 また、発表という形態にするとどうしても優等生的な発言をしがちであるため、ひょっとすると本音を言えない学生もいるかもしれないということで、筆者の方からはあえて次のような意見を言ってみました。

 「若年者の重症化率が低く無症状の感染者も多いけれども、一方で若年者はワクチンの副反応で数日苦しんで寝込む可能性が高いため、COVID-19に罹患した際のリスクとワクチンを接種した際のリスクは若年者一人で見たときにはひょっとするとワクチンのリスクの方が高いと考える人がいるかもしれない。さらに、一人暮らしで暫く帰省の予定もないため高齢者と接する機会もまずないし、授業もオンラインばかりなので自身が感染しても他人に感染させるリスクは低いので、自身はワクチンを打たなくてもいいのではないか、という学生がいてもおかしくはないと思います。」

 上記の意見には賛成であれ反対であれ意見しづらそうではありましたが、やがてある学生から「重症化率は低くても味覚障害のような後遺症が発生してQOLが大きく下がるリスクをとりたくない」という内容の意見があり、ゼミの空気感としては、できれば接種した方が良いのではないかという方向に流れました。ただ、筆者は強制的な空気にはしたくなかったため「最終判断は、己の意思で!」と言い続けました。(なお、若年者のメリットとデメリットについては厚労省のサイトで専門家が見解を述べています。)

 もう一度述べておきますが、筆者はワクチン接種を強要してはいません。あくまで、科学技術の徒である工学部の学生であれば、流言飛語に基づく感覚的な判断ではなく、科学的知見を持った上で主観的な判断を下して欲しいと願ったのです。

 実際に知り合いの研究者で、筆者が上で述べた内容に近い理由でワクチンを接種していない方がおりますが、筆者はその判断を尊重しています。そのことを、ゼミの数日後にある学生に話したところ「先生は反論しなかったんですか」と言われて少し困りました。その学生には「今回のワクチンは強制ではないのですよ……ゼミで議論した通り様々な考え方があるわけで……」と言ったらはっと気づいた様子で「あ、そうでした……」と少し恥ずかしそうにしていました。

 筆者がゼミで取り上げたこと自体にその学生が強制力を感じたのか、それとも学生自身が元々強制的感情を持っていたのかは定かではありません。しかし、タイトルだけで何でも瞬間的に判断してしまうことの多い世の中ですので、「ゼミでワクチンを取り上げる=ワクチンを強制する」という短絡思考が働いてしまうこともあるかもしれません。難しい世の中です。(最近の世の中の思考の短絡化や硬直化への功罪については、いつか稿を改めていろいろな角度から述べたいと思っています。)

3.コロナ騒動の行く末

 COVID-19の流行をワクチンの集団接種で抑えられるかどうかはよく分かっていないようですが(参考)、もしワクチン接種による集団免疫の獲得を目指す場合、最低ラインとして70-80%を目指したいという専門家の意見もあるようです(参考)。つまり、重い持病があるためワクチン接種自体に主治医の入念な検討を要する人や、マジョリティに対する謎の反抗心から接種したくない人、あるいは反ワクチン派になった人などが全体の2割以下になっていれば最低ラインをクリアすることができます。

 つまり、個人(ミクロ)としては「できれば接種して欲しいけど各自の状況や思想に応じて好きにして」という接種の自由を堅持しつつ、総体(マクロ)としては「みんな接種した」と言えるくらいの接種率を達成すれば最低ラインに届くことになるわけです。(いわゆるただ乗り(フリーライダー)の存在が良いか悪いかについてはここでは言及しません。)

 ミクロでの自由が日本全体で堅持されていたかというと少し怪しいと筆者は思っていますが、結果として2回接種までは80%を達成しているようですので(参考)、マクロの観点からはひとまず最低目標は達成したと言えるのではないでしょうか。

 しかし、十分に有効となる目安である2回の接種が日本国内で概ね終わった頃には、COVID-19はすっかり変異種に変わってしまいました。元々ワクチンは感染率をゼロにするものでも無症状にするものでもありません(感染率を下げて症状を低減するものです:参考)が、感染拡大の波は相変わらず繰り返されており、まだ予断を許さない状況ではあります(2022年5月時点)。3回目の接種は効果ありとする見解が多いですが、その後は、というと、ただ回数を重ねればいいというものでもなさそうです。ここから先は医学の判断を待つ段階にあり、現段階で筆者に述べられることはありません。

 近頃、いろいろな力学が働いて「かつての日常」に近づくようにコロナ対策が緩和されてきました。アフターコロナというよりはウィズコロナになりそうな昨今ですので、社会全体がいろいろなところで「ピンチをチャンスに」して良い方向に向かっていくことを期待してやみません。


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