「キッド」(1921)を見た

「キッド」(1921)を見た。

貧民街の浮浪者と孤児の心の交流を描いた、“喜劇王”チャールズ・チャップリン初の長編作品となる名作無声映画。
(amazonより)

wikipediaによれば、

『キッド』は、オープニングで「笑いと たぶん涙の物語」と語っている通り、映画史上初めて喜劇と悲劇の融合が効果的に取り入れられた長編喜劇映画である。

まぁ、そんなに涙の物語ではない。
それでも、子供を捨てざるを得ない母の悲哀、本当の親子のように暮らしていたのに、引き裂かれてしまう悲哀、が違和感なくチャップリンのドタバタとともに存在するのだから、初めてそれを成功させたチャップリンはすごい。

まぁ、そんな蘊蓄はおいといて。
この映画の魅力は、なんといっても子供役のジャッキー・クーガン。
もうね、ミニ・チャップリン。
警官のまえで窓ガラスを割る動作と見つかるタイミング。
警官に悪事がばれそうになって、へつらうような、はにかむような笑い方。
子供同士のケンカシーン。

そりゃね、チャップリンが監督してるんだから、そういう演技をさせるだろうけど、それにしても、本当にすごいのよ、そのにじみ出るチャップリン感。

本当の親子とは知らずに、捨てた母と捨てられた子供が出会うシーンがあるんだけど、その時の子供の表情というか佇まいというか、そこには確かにペーソスがあるんだわ。
恐るべし、ジャッキー・クーガン。

と、まぁ、「キッド」は良い映画なんだけれど、一つだけ「ん?」となるところがある。

ラスト直前、子供と離ればなれになり、失意の中見る夢、天使の国のシーン。
無垢な天使の世界に、誘惑と嫉妬が入り込み、天使のチャーリーは撃たれてしまう。

このシーンが、どうにも唐突な気がして、頭にクエスチョンマーク。
天使の世界はわかるんだ。そこで子供に再開するから。
でも、なぜ「誘惑」と「嫉妬」。

案外、そんなに深い意味はないのかな。
「キッド」の前半でも、窓ガラスの修理をしている時に、その家のご婦人とイチャイチャして、それを見つけた主人(警官)と一悶着…ってあるからね。
それを夢の中で繰り返しただけなのかもしれない。話の継ぎ穂として。

ちなみに、夢の中で警官に撃たれたチャーリーは、現実の世界で、寝ているところを警官に無理やり起こされ、とある場所へ…

まぁ、機会があれば是非見て、夢の国の考察も含めて、感想を教えて欲しいな。



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