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Reckless in Seattle その拾(最終回)

シアトルから戻ってきて早や2週間。まだ夢の中にいるみたい…(懐事情を思うと即現実に戻るけれど…)。

最初にシアトルの地に降り立った(&いきなり空港で迷子になった)のは、1999年3月の事。特に何か目的があった訳でもなく思えばちょっとした現実逃避だったのだけれど、ともあれ最初に語学学校に通った。ワシントンアカデミーオブランゲージ(WAL)は、シアトルの発祥地パイオニアスクエアのすぐそばにあり、そこで様々なバックグラウンドを持った面白い友人達に出会い、語学以上の事を学べた気がする(語学そのものは忘却の彼方だが…)。

東京に戻った直後に『ヒマラヤ杉に降る雪(Snow Falling on Cedars)』という映画を観た。工藤夕貴演じる日系2世女性とイーサン・ホーク演じる白人男性の悲恋物語(というと薄っぺらくなってしまうが…)。スコット・ヒックス監督の透明感のある映像で描かれた舞台のモデルは、訪れた事もあったベインブリッジ島。またシアトルの桜祭りや教会等で日系の方と知り合う事もあったし、インターナショナルディストリクト🆔界隈は学校帰りによく寄って、バブルティー(タピオカミルクティー)🧋を楽しんでいたのだけれど、その街の歴史について何ひとつ知らない事に愕然としたのだった。

ちょうどその頃、たまたま恵比寿の古本屋で、サンフランシスコ出身のエイミ・タン『ジョイ・ラック・クラブ』の表紙に目が釘付けになり、思わず持ち帰って思ったのが、華僑の物語があるならば日系人の物語もあるに違いない。ならばと当時オープンしたばかりのAmazon.co.jpでJapanese American等と片っ端から検索。そして見つけたのがシアトル出身の作家による『No-No Boy(John Okada, 邦訳あり)』と『Nisei Daughter(Monica Itoi Sone)』。それがあたしが日系含むアジア系アメリカ人にまつわる文学やナラティブに興味をもったきっかけだった。とはいえ語学力もついてゆけず、永遠に単なるシロウトなのだけれど、今でもまだ物語(Naomi Hiraharaさん、Kathleen Burkinshawさん推し)や歴史、そして映画『ミリキタニの猫🐈』等楽しんだりしている。(自分が名古屋で家の中と外の世界が違う中でカメレオンのように育ち、何処にいても浮き草人生なので、何かそれを癒すような所もあるんですよね…😉)
また今回、改めて歴史に触れたり感じたり、いろいろな体験が出来たのも良かった。

ともあれ前置きが長くなったけれど、20数年ぶりにWAL同窓会をしたり(先にご紹介したJukeとElenaと3人、4/23)、元ホストマザーと娘さんにお会いしたり、また楽しい思い出となった。ここまで読んで下さった奇特でココロ優しい方々、有難うございました🙏
(4/18-26帰国)

WAL同窓会@Nibbana Bellevue(Jukeの手掛けるタイレストラン。Rentonにも支店、あとFremontに姉妹店Jai Thaiがあるので、シアトルへ行かれる方ぜひお立ち寄りを😜)
これがマウント・レーニア(Mt. Rainier)🗻
あと今回✈️⚽️⚾️、何もかもペーパーレス化され、アナログおばちゃんついてゆくのに必死でしたがな…
持って行った三種の神器(?)
あとレンタルWi-Fi含め、バッテリーチャージ、📱がとにかく命綱、ある意味パスポート以上に大切でした…えらい時代に😅

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