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すゑばあちゃんの思い出

小6の夏まで過ごした、名古屋城に程近い下町での思い出。まだ名古屋の人間関係がねっちょりしていて、GIANTS帽を被った転校生が標的にされる事もあった時代、両親共東京育ちの転勤族の娘だった私は、無口で(注: ホントだに!)ドンくさかったせいか、近所の方々には大変優しくして頂いた(感謝)。住んでいた社宅のあった柳原町は古い城下町で商店を営む家庭が多く、建具屋や豆腐屋の娘とよく遊んだものだ。
勤め人で共働きの隣家にはジャイアン&ジャイ子的兄妹がいて、お邪魔すると奥からおばあちゃん(すゑさん)が出てきて、干し芋や煎餅を頂いたりした。いつも地味な着物姿のすゑばあちゃんは、長谷川町子描く、いじわるばあさん激似だったけれど(それ程のお年ではなかったと思われるが)、町内の他のじいさんばあさんとは少し違う、穏やかで凛としたオーラを放っておられた。

小4か小5のある日の放課後、1つ年下のジャイ子(仮名)の宿題を見てやってくれないかと頼まれ、自分の読書感想文用の本持参で訪れた時の事。おやつを頂いていた時、「えっちゃんは本が好きなんだね。ウチのジャイ子(仮名)は漫画しか読まんでかんわ。えっちゃん、これからはね。女の子も本を沢山読んで、しっかり勉強するんだよ。」すゑばあちゃんは、いつになく強い口調で言った。
後に噂で聞いた所によると、すゑばあちゃんはその昔、愛知県立第一高等女学校(現・明和高校の前身)に合格したものの、オナゴに学問は要らん!と父親に激怒され、泣く泣く進学を諦めた過去があったのだとか。町内には幅を利かせていた県会議員も住んでおり、選挙が近づくと近所のお年寄りが続々とお昼時に訪れては、「先生頑張って下さい!」と言って天丼や鰻丼をご馳走になり帰ってくるのを(中には娘夫婦が教師というばあさんも)、何とも浅ましいねぇとウチの母親にボヤいた事もあったらしい。そんな事を30年ぶりくらいにふと思い出す。

小6の夏に千種区へ引っ越しする時、すゑばあちゃんはお手製の飾り手毬を持って見送りに来てくれた。その後何年かはその手毬を窓辺に吊るして飾っていたけれど、度重なる引っ越しや環境の変化のせいか、いつの間にやら行方不明に…。
月日が経ち、すゑばあちゃんは天に召され、ジャイ子(仮名)は名大に進学したと風の便りに聞いた。一方、あたしはいつまでもふらふらと落ち着きがなく、何事も中途半端な中年になってしまい、かつて孫のように可愛がってくれた、すゑばあちゃんに合わせる顔も無い(苦笑)。けれどばあちゃんの事を思い出すと、次の世代(実子は持たぬ選択をしたけれど)への「負の連鎖」を断つという事を、微力だけれど心がけて生きたいと改めて思う。
誰にとっても人生は一度きり。思いっきりやりたい事に打ち込んだり、思いっきり自由に語ったり笑い合ったり、男女(もとい性別)問わず皆それぞれの人生を全う出来る世の中でありますように。。。

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