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祖父自筆のファミリーツリー

まだまだ実家大掃除中、今年の初めに旅立った父アキラの本棚を整理していたら、とある本の間に古めかしい封書が。開けてみると、何やら黄ばんだ手書きの家系図。何これ?ますのさん?書いたヒト誰?
よく見ると祖父マサル(勝)によるものらしく、マサルの祖父後妻?ますの口伝という事らしい。しかも登場人物かなり多め、相関関係が分かりづらい。目を凝らして枝を追っていると… エッ、マサルにきょうだいが⁉️

これまで知る限り、大阪富田林生まれのマサルはひとり息子、上京して保険関係の仕事に就き、転勤が多かった為そのまま故郷を後にした(アキラは中学まで毎年のように転校したとか)。記憶に残るマサルはご陽気で、金歯光らせながら河内弁でまくしたてるじいさんで、あたしが小2の時に白血病で他界した。そんなマサルからは勿論、やや寡黙でオタク気質のアキラからも、余り家庭事情を聞いた事がなかった。母もこの辺りの事情はよく知らないものの、そういえばマサルさんの父タケジロー(竹二郎)さんは駆け落ちして上京した、って聞いた事があるわよと。お相手のタネさんが前夫のDVから逃れる為だったとかで、エッ、そんなドラマチックなヒストリーが…。
タネは昭和19(1944)年に亡くなっているので、戦前の関西の片田舎ではさぞや一大スキャンダルであっただろう。マサルは富田林で生まれているので、ほとぼりが冷めた頃に戻ったのだろうか。タネが残してきた娘チヨは、マサルの葬儀にも来ていたらしく(姉弟関係は悪くは無かったと思われる)、全く知らなんだ。(よく見るとチヨに兄?弟?の宇太郎が居たようだが、この方については全く分からず…)

そして仕事で日本中を飛び回っていたマサルも、息子アキラが高校入学すると同時に横浜市内に家を構え、タケジローを呼び寄せたようだ。タケジローは暇を持て余していたのか、夕暮れ時になると家の外をぶらぶらし、会社帰りのお父さん達をつかまえ麻雀に誘い、いつしか街にはちょっとした麻雀コミュニティが出来、夜な夜なそれは賑やかだったようだ。当時はまだ関東では河内弁のじいさんは珍しかっただろうけど、タネの件といい、タケジローは相当なヒトたらしだったのだろう。ちょっと微笑ましくなる。そんなタケジローは昭和37(1962)年に他界、アキラの結婚前の事で、だから母もタケジローに会った事はない。

この複雑怪奇な家系図がどこまで正確かは分からないけど(やたら再婚が多いのは女性が出産等で命を落とす事も珍しくなかったからかも)、マサルの義祖母(ステップグランマ?)、ますのさん、これだけの登場人物を覚えていたのだとしたらある意味凄いし、きっとあちこちクビを突っ込んでいた、おしゃべりばあさんだったのだろうな。まだまだタケジロー近辺の人間関係には謎が尽きず、妄想族としてはなかなか味わい深い。3代遡ればそこらの方々みんな縁戚という感じもして、また富田林を訪れた際には家々の表札をガン見しちゃいそうだ。そしていつか富田林市役所で、戸籍を辿れる所まで辿ってみようかなと思っている。
(見出し画像の神社⛩️は富田林の錦織神社、ご先祖達の氏神様。1/27の投稿参照)

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