見出し画像

ゲームとことば#37「誉れは浜で死にました」

この後に「ハーンの首を取るために」と続く、七五調でリズムがよい名言。
ゴースト・オブ・ツシマは、鎌倉時代の蒙古襲来に困惑する対馬(現長崎県対馬市)の武士を描いたアクションゲーム。
対馬を蹂躙する蒙古軍に対し、主人公の境井仁があの手この手で戦う本作は、叔父の志村との考え方の違いなど、単純に「対蒙古のドンパチ」とならないところが魅力だ。

志村は仁に相手がいくら卑怯な手を使おうとも、自分たちは正々堂々と誉れある戦いをするべき、という。
仁は誉れの重要さを理解しつつも、蒙古と戦い民を救うためには闇討ちや毒殺もやむを得ない、と徐々に考え方が変化していく。
地頭である志村がハーンにつかまってしまうと、仁は救い出すためにあらゆる手を用いる。志村も助けられたことに対する感謝やうしろめたさは感じているようだが、仁が毒殺など誉れなき戦いをすることは認めない。

そもそも志村のいう「誉れ」とは何だろう?
よく話を聞いてみるとどうやら「民の規範となる振る舞い」みたいなもののようである。
プレイしていると、「そんなこと言ったって仕方ないじゃん、相手強いんだから!」と思ってしまうが、そう簡単なものでもないのだろう。
秩序が乱れた社会は為政者にとって危ぶむべき状況だ。
この戦いに勝ったとてその方法が残虐なものだと、民がその残虐なやり方を覚えてしまい、もしかしたら為政者に刃が向くかもしれない。
すると蒙古がいなくなった後でも、長い間混乱が続くかもしれない。
志村が憂慮しているのは、そういったところだろうか。

だが仁は一生懸命やっているし、闇討ちや毒殺のおかげで志村を助けられたわけだ。もちろん仁も最初はこのやり方にかなり抵抗を感じていたし、楽しくてやってるわけではない。
表題のセリフも、苦々しい顔つきで絞り出すように発言している。
このことばを聞いた志村の悲しそうな顔も印象的だ。

本作は本当に表情がいい演技をする。
ゲームの表現もここまで来たか、と思う。

≪前回の記事≫


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?