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人間臭いキャラクター表現ってどうやるの?という話

フィクションにおける、うすら寒くないギャップの表現の仕方ってどうやるのだろう。

今日、初めて南勝久先生の漫画「ザ・ファブル」を読んだ。
岡田准一さん主演の実写映画でも有名な同作は、凄腕の殺し屋がボスの命令で1年間、一般人の暮らしをしてみるという内容。
まだ序盤なので話がどう転ぶのかわからないけど、「ファブル(寓話)」とあだ名される主人公が、殺しをせず一般人として暮らしてみようという中で巻き起こるアウトロー漫画。

反社会的登場人物が、時折見せる人間的な言動や何気ない日常シーンがギャップとして面白く描かれている本作だが、この人間性の表現が、取ってつけたようなギャグのためのギャップではない点がとても気に入っている。
どのキャラも一つの一貫したキャラクターと言うものを持っている。
それは決して言動が矛盾しない、ということではなく、むしろ人間らしい矛盾やら一貫性やらが色々な場面で見え隠れする感じだ。

南勝久先生自身が、1巻の表紙裏に「針を刺すと血が出るようなキャラを描きたい」といった旨の言葉を書いている。

キャラクターを生み出せる人、ストーリーを生み出せる人ってのはすごい。
どうやって世の中を観察し、描き出しているのだろうと思う。

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