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散歩と写真「福岡県筑紫野市の針摺石」

久しぶりに母校(高校)の近くを散歩してみた。
変わった景色、変わらない景色、変わったかどうかさえ分からない景色。
たかだか20年程度でも何かしら変化はあるものだが、千年もの遠い昔ならばどんな風景が広がっていたことだろう。

福岡県筑紫野市に『針摺』という土地がある。
「はりすり」と読む。
このような珍しい地名は、たいていユニークな由来を持つものだ。
この日はその由来となった場所を気まぐれに訪れてみた。

「針摺石(はりすりいし)」

西鉄「朝倉街道」駅から徒歩で数分。
閑静な住宅街の片隅に「針摺石」はひっそりと佇んでいる。

今から1,100年ほど昔、9世紀末のこと。
政争に敗れ、大宰府(現:太宰府)に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)は、華やかな都での生活から、うら淋しい暮らしを余儀なくされていた。
鬱屈とした無念を抱え、道真は無実の罪を天拝山(てんぱいざん)で訴えるのであった。
その帰り道、道真はある老人と出会う。
老人は何やら石に向かって作業をしているようだ。
道真は老人に何をしているのかと尋ねると、「斧を石で摺り減らして針にしている」とのこと。
途方もない作業をコツコツと取り組む姿勢に心を打たれた道真は、また天拝山に上り、訴えを続ける気力を得た。
それから、老人が使った石は「針摺石(はりすりいし)」と呼ばれ、土地の名は「針磨(はりま)」、のちに「針摺(はりすり)」と呼称されるようになったようである。

そばに立てられた看板には言い伝えが簡単に記されている。

斧を石で摺って針に?…いやはや気の遠くなる作業だ。
努力方向としてどうなのというツッコミは野暮かもしれない。
不断の努力というものに人の心を動かす力があるのは間違いないだろうからね。

『筑前国続風土記』八巻より(出典は下記に記載)。
「針磨」の文字が見えたので、多分ここだろうと国書データベースで検索してみた。(あってるよね?)さすがに読むのは難しい。

言い伝えの内容そのものより、こういった言い伝えが地元に千年以上も残っていることが私はうれしい。
当たり前だけど、人が住んでいた土地にはちゃんと歴史があるのだと。
そして、中には書物に残るレベルのエピソードも。
日本人は本当に全国津々浦々で、さまざまな出来事を書き残している。


『筑前国続風土記』(国文学研究資料館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200017429

筑紫野市ホームページ
https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/soshiki/38/1939.html

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