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生きるものみな食うべき

僕は大食いだ。
たぶん人の1.5倍〜2倍くらい食べている。
自分で作るときは2食分作るつもりが一回で食べ切ってしまうし、外で食べる時は大盛りを売りにする店を選びがちだ。

大盛りにして、おかわりをして、お腹いっぱい食になる。
それだけのことだけど、それが僕にとってはめちゃくちゃ幸せなことだ。

僕が月に二回開いている子ども食堂では、おかわりが出来る。
これは元々、子どもたちが完食できるよう「基本の盛りを少なめにする」という配慮から始めたやり方だ。

でも、結果として多めがいい人も少なめがいい人もみんながちょうどいい量を食べられるやり方になっているんじゃないかと思う。

子どもにとっては、いくら食べても無料。
それは今の資本主義的な価値観に慣れていると違和感があるらしくて、初めての子は「マジで!」と驚き喜んで、たくさんおかわりをしてくれる。

一方で、おかわりがしにくそうな人もいる。大人は結構おかわりがしにくそうだ。引け目や、申し訳ない気持ち、恥ずかしい気持ちが少なからずあるのだと思う。

僕は、子ども食堂の取り組みで、そんな「引け目」をなくしたいと思っている。

一人でラーメンや定食を食べることに慣れた大人の感覚では、商品にはそれぞれ価格があって、適正な対価を支払えば、それに応じた財やサービスを受け取れる、という感覚はすごく当たり前のことだ。

大盛りにしたければ、100円を多く支払って大盛りにするし、トッピングを追加したければ設定された価格を上乗せすればいい。
そこに引け目は感じない。
あえて、説明し直すまでもなく、自明のことすぎて、この説明に違和感がある人は少ないだろうと思う。

でもじゃあ、その対価を持たない人はどうすればいいのか。ということになる。
本当はたくさん食べたいけれど、持ってるお金の量に応じただけの食事で我慢すべきなのか。

あるいは、子ども食堂や炊き出しなどで、引け目を感じながら、与えられるしかないのか。

それは違うと思う。
誰しもが、お金の有無に関わらず、お腹いっぱい食べられるべきだと思う。
生きるためのエネルギーを得るために必要なことなのだから、それは引け目を感じる必要もない、もうめちゃくちゃ当然のことだと思う。

だから、子ども食堂でおかわりをする時には、引け目を感じさせないようにしたい。

「何回でもおかわりしてください」
「こんなに食べてくれて嬉しいです」

というスタンスをとっている。
なんなら鬱陶しいくらいに「おかわりはいいですか?」と聞く。
実際鬱陶しいかもしれないから、そこは様子を見ながらやってかないといけないけど…。
でも引け目を感じさせないためには、そのくらいやってもいいと思う。

(ただ、実際にはオペレーション上の問題で無限におかわりをしてもらうのは、なかなか難しい時もある。
たくさんの人が来てくれた時には、残りの人数を考えながら、うまく按分しないといけない。
様子を見ながら作り足すけれど、それでも足りなかったり、作りすぎて残ってしまうこともある。
なかなかうまくいかない課題である。)

とにかく思うのは、食べ物に値段がついているのは、別に当たり前ではないということ。

みんなが、お腹いっぱい食べられる状況が、理想でしょう。
お腹いっぱいで、笑っていられる。それが全員である。という社会を作ることが僕らがすべきことでしょう。

もちろん、お金の論理は大事だ。
そのやり方、ルールでうまくいっていることも多い。全てを否定するつもりはない。

でも、お金の論理のうちにこもることで、見えなってしまうことがあるんじゃないか、
それってかなり大切なことなんじゃないかと思う。
そして、子ども食堂でそれを取り戻せたらいいなぁと思っている。

「働かざるもの食うべからず」ではない。
「生きるものみな食うべき」でよい。

次回もたくさん作る。
「おかわりしてくださいね」
とみんなに言い続けたい。

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