見出し画像

第46話あとがき 創作とか制作とか作品とか

あじさいが咲き始めました。
あじさいというのは、花が咲くと
「おや、お前あじさいだったの?」
という気がします。
しっとりしているような乾燥しているような、日本画みたいな花弁が集まってまんまるに彩られ、雨に濡れる頃には、その葉も一層濃くなって、
「ああ、確かにあじさいだったな」
と思うのですが、やっぱりどこかで誰かが新しく植えたんじゃないかと疑ってしまいます。
この公園は、こんなにあじさいに囲まれていたのか?
と信じられなくなるのです。
花はさておき、葉っぱはずっといたんだろ?
こんな大葉みたいな、モロヘイヤみたいな美味しそうな葉っぱあったかな?
そして花が枯れると、今度はその花弁がニンニクスライスをこんがり油で炒めたような色になって、ペペロンチーノが食べたくなります。
あ、私お腹空いてるのかな?

よし!あとがきだ!

ここまでアナログで何話か描いてみました。
生原稿ってやつがじわじわと溜まってきています。
最近よく原画展とかやってますよね。
実際にみてみると、
「こんなに細かく描いてあったんだ」
とか
「ああ、こんなに修正してたんだ」
みたいなのが分かったり、一本の美しい線に慄いたり…
このマガジンでも「ドラえもん一コマ拡大原画展」や「ムーミン展」の話をしてきました。(あまりにも偉大な作品を引き合いに出してしまいましたが…)
展示をみながら「物理的に存在している」ということは、なんて頼もしいんだろう、と感じたのを覚えています。

でも「物理的に存在している」ことがそんなに大事だろうか?
とも思います。
例えば、小説はどうでしょう。
どこに作品があるんでしょうか?
インクでしょうか?
最近では電子書籍にしかなっていないものもあります。その場合作品は、スマホの中にあるのでしょうか?
スマホの中にある作品と、本棚に並んでいる作品は、同じ文字が書かれていても違うのでしょうか?
(保存の問題はもちろんありますね。物理的に残っているものはかなり古いものまで残っていますが、それはほんの一部で、ほどんどの物理的作品は消滅してしまったんじゃないでしょうか?デジタルデータにする方が多くの作品を残すことができそうに思います。でも昔私がワープロで書いた小説はフロッピーすら行方不明。)

小説と漫画はどうですか?
小説は言葉だけれど、漫画は絵が描かれています。
作品としての頼もしさに違いがあるでしょうか?
私がある小説を思い出すとき、印刷された文字の並びを思い出すのでしょうか?では漫画は描かれた絵そのものを思い出すのでしょうか?
映画は?
音楽は?

私は、大学で油絵を学んできました。
作品を作るということは、唯一無二の複製不可能な(できますけどそういう意味ではなく)作品を作ることでした。
それは「制作」と言います。
いくら雑誌や画集でその「作品」を知っていても、それは「知っている」だけで「見た」ことにはならず、展覧会に足を運んでようやく「見た」ということになるのが前提でした。油絵科にいるとき、私の考えている「作品」は物理的に存在しているものでした。

話が前後するのですが、映画や音楽は「製作」と言いますね。
そもそも「製作」にはマネーの動きを感じます。個人で作品を作る場合には「製作」はあまり使わなさそうですね。
ちなみに映画や音楽を、油絵科にいるときの前提で考えると超過激派です。
「デジタルでは聞いたことにはならない、ライブ一択」
うーん、これはまだいそう。
問題は映画ですよ。
映画を「実際に見る」って一体どういうことだ?
映画館でいいのかな?
「映画館一択っしょ」
うん、これくらいの人はいそうですよね。
「映画館で見たものしか『見た』とは言わない」
という人がもしいたら、間違いなく少数派です。
そもそも映画館で見たものが「ホンモノ」なのか?
映画館やライブでしか味わえないものはあるでしょうけどね。
まそれはいいや。

漫画は「創作物」と呼ばれたりしますが「漫画制作」と言っているのも聞いたことがあります。
漫画には創作的側面と、制作的側面があるっていうことでしょうか?
まあ、そうでしょうね。二つの言葉の意味は違うし。
でも制作的側面の結果は、どこで楽しめるのでしょう?
原画展?

ちなみに私の生原稿と、実際にcakesで公開された作品は、全っっっっっ然違います。

もう、本当に、、つけペン難しくてですね…
思ったように線が引けなくて、修正に修正を重ね、どんどん汚くなって、
「ああ、もうだめだ、デジタルで修正しよ…」
ってなることが多々あるんですよ。毎話、毎ページ。
アナログ作家ヅラしてすみませんという感じ。。
それもこれも、楽しんでいただきたくてやっていることなんです。
読んだ時に胸の中に何かしらが沸き起こってくれるんじゃないか、と。
あわよくばこんな気持ちが沸き起こってくれれば…とか。
それが「作品」なんじゃないかと思っています。
これはどのジャンルにも言えることだと思います。

今回の第46話、その修正がだいぶ少なくなったんですよ!

見てください、これ!
トーンはデジタルなんですが、デジタルで引いた線は「目だけ」です!
デジタル、目だけ!目だけは、、使ったんですよ。。

いつの日か私も原画展を開けるくらい力強い生原稿を作りたいです。
しかしそれまでは、私だけが
「ああああああ、目が、目がぁぁぁ」
と、いろんな気持ちを湧き起こらせて味わっていきたいと思います。

ここから先は

0字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?