母の死と言えなかったことから始める小話

私の母は数年前に癌で亡くなりました。
癌と分かって余命3ヶ月、色々抗ったけど、4ヶ月で亡くなりました。

癌になり、最初は強気だった母も治療が辛くなり笑顔はなくなりました。
私は地元を離れていたのもあり、母は会いたくないと言い、なかなか会えず、会えたときには、別人のようでした。
病室で久しぶりに会ったとき、若いお医者さんがたくさん説明してくれたけど頷きながら涙が溢れてしまいました。

母はもう治療をやめたいと言って、その事、今後の事を、ということで病院に呼ばれやっと会えたのです。気丈な母は本当は会いたくなかったのかもしれません。弱った姿を見せたくないと思う人なので。

私は、病室で会った人が、母が、母は、もう死ぬんだ、と、心臓をえぐられたように、首を絞められたように、血が抜かれたように、涙は止まりませんでした。言葉は出ません。

泣くな、と、母は言いました。私は言葉はでません。
はい、でも、いいえ、でもないからです。

その後、私と一緒に帰ってきた姉とずっと母の看病をしていた父が病室に入ってきました。

姉も泣いたけど、ひどい事をいいました。
私が知ってる限り1番ひどい
「がんばれ!これは気持ちの病気だ!負けるな!」と、ああ、すぐに注意するべきだった、今でも悔やみます。
私はここでも何も言えない涙を流すだけのただの蛇口でした。閉まらないので、壊れていますが。

姉は本当に悪気がなく、励ますつもりなのも分かります。そこを差し引いても最低最悪でしょう。
いや、むしろ余計に酷い。
あなたは悲劇のヒロインになったつもりなのか。
もうがんばったているのに、気持ちは誰よりも強い人なのに、母の心が刺され殴られているのに私はなにもできなかったのです。私も相当にひどい。

私は後で、姉に母に「頑張れ」は、言わないであげてと話し、それから姉は言わなくなった。

この後、母は緩和病棟に移動しました。
治療をやめ、少し朗らかになったように思います。
私はガバガバな蛇口がすぐ開きそうであまり話せなかった。
でも、結局ここで最後にコレだけは言いたいなどと話しても、死を連想させてしまうので話せなかった。
大事な話は元気なうちにするものなんだと思いました。
実際母は些細なことで泣いた。
母の涙を私は初めてみた。人生で初めて。
この人も泣けたんだと驚いたほど、初めてみた。

その後、調子が良い日に家に帰ってきた。
夢のようだ!嬉しい!と、あ、生き返った、と思った。この日、死んでた母は生き返った。

あの日、久しぶりに会った病室でみた母は、私の知ってる母は死んでいた。死んだ後に、もう一度再会するような、これは本当にラッキーな事だと思う。
死んだ人にまた会えたのだから。
私はこの日も忘れてはいけないと心に刻んだ。

母には焼き魚とスープとサラダとお刺身と卵焼きを振舞った。とても楽しそうにしていて、嬉しかった。

それから1ヶ月しないうちに亡くなった。

私にはこの数ヶ月が今の私の大きな部分を占めていると思う。

いまだに蛇口はガバガバだし、軽い感じで知り合いに話せないし、病室のことを何度も思い出す。

頑張れ、気持ちの病気、負けるな

病気で亡くなることがなぜ負けたことになるのだろうか。勝ったら生きるのか。人はいつか必ず死ぬ。いつかは負けるという事なの?
母は負けたのだろうか。生きたかったのは確かだけど、負けたのでない。死んだだけだ。

勝手に勝負にするなよ、勝手に勝ち負けをジャッジするな。
病気は戦うものなのだろうか。

今でも頭をぐるぐるする。
もう頑張ってるよ、と、あの時言えたらよかった。
私なら味方になれたのに、優しくできなかった。

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