上海ハニーは自由の象徴
小6の夏、私はとてつもない開放感を得ていた。
DVと虐待を繰り返す母親の再婚相手から、逃げ出したからだ。作戦を立て、別々に移動し、合流して、高速バスで長距離移動。
そうして、祖母の家で、いとこたちと自由に過ごす夏が始まった。母と弟は母子保護施設で生活することになったので、私一人の時間も多い。母親がいないのは寂しくもあったが、親の目がないという開放感もあった。
宙ぶらりんの夏休み。その宙ぶらりんさが未来を輝かしく見せていた。
とはいえ、充実しているとばかりは言えない。
だって、逃げるとバレないように最小限の荷物で来たから、自分の持ち物はほとんど持ってないのだ。すべてお下がりの服だし、本だって田舎では読み放題というわけにはいかない。買ってもらった本も読み切って、ずっとニッセンとセシールのカタログを読み漁っていたこともあった。
その年の夏のヒットソングがオレンジレンジの「上海ハニー」だが、私の実生活とはかすりもしないこの曲が、妙に印象に残り、輝かしく見せていた世界と自由な夏を彩っていた。
といっても、良く聴いていたというわけではない。あくまでヒットソングとしての距離感でしかない。私は一切音楽再生機器を持っていなかったので、聴く手段などなかった。
そうだ、手段は、1個だけある。
「着うた」だ。
何もなかったが、携帯電話は持っていた。実父の契約で持っていた。
まだ着うたフルもなかった、秋頃だったか。私はエミネムの曲を着うたで買って、着信音にしていた。実父の家でエミネムの映画を見て、かっこいいと思ったからだった。中学生になったら、エミネムの一枚のアルバムだけを延々聴いていた。
(今思えばそれなりに音楽の趣味があったのだろうが、私には、なんだか分不相応な趣味だと思いこんでいた。長らく音楽再生機器を持っていなかったコンプレックスがあったのかもしれない)
そして、なぜか今、私は「上海ハニー」をよく聴く。
今の私は、いつでもどこでも音楽を聴ける。
曲の内容は、相変わらず、私には関係ない世界だ。でも私にとっては、輝かしい未来を予感させる夏の、代表曲になっている。
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