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過信はせずとも自分たちを信じずに何ができようか。

いい悪いの判断をはじめ、さまざまな価値観は誰が決めるものでもなく私たちが決めていけばいい。そうおもえたら強くなれるように思う。

年度末差し迫った週末に、書いていた記事。ふと、読み返して今、改めて心を奮い立たせてくれる文章だったので、ここに公開。


年明けから約2ヶ月ほど全国をかけずり周ってやっと富山の自宅で過ごす仕事なしの2連休。

結局、一歩も外に出ず、だらだら過ごせた。ほとんど何も手がつかず、かろうじて滅多に作らなくなった家族のご飯をつくり、社会人になった娘の少し早い誕生日を祝うだけで精一杯だった。

そういえば、ちょっと前に会長の退任を祝う会食があって、二次会で一部の社員と膝を突き合わせて話をすることができた。

あらためて社の歴史を知りワクワクしていた社員がいたり、日々の仕事について後輩に語る社員がいたり、思った以上にみんな仕事を楽しんでいるようだ。とても幸せな時間であったことを思い出したりしていた。

抜け殻のようになった私は、ソファに横たわり、何も考えず、ただ時間を無駄にして過ごした。

月曜の朝、東京へ向かう新幹線。
少しだけシャキッとする。午後のうち合わせの準備をしながら、やり漏れていることがわかっているにも関わらず手につかない。

あぁ、もうすこしゆっくりしよう。

一輪の花を愛でる余裕も、散歩して外の空気を思いっきり吸うことも、家族の会話をうけとめることもままならない。珍しく感じた不安に浮き足立つ。

クラッシュしそうな脳のOSをインストールしなおしているかのように動けなかった。

なにか、たまに感じる不安は、経営者の孤独とかプレッシャーとかそういうものではない。なんとなく、あと一歩踏み出すための力を振り絞る準備なのかもしれないと、受け入れる。

新幹線の中。
ふと、「自分たちを信じずに何ができようか」と我に帰った。

何事も続けること。誰かの余計な言葉や言動に惑わされず、ただ、自分たちを信じて前に進むこと。

馬鹿にされようが、恥ずかしい思いをしようが、悔しい思いをしようが、理不尽なことに遭遇しようが、前に進むこと。今の私だ。

こういう週末は、大切な時間だ。

この記事を書いて数ヶ月経っているが、今の方が体力的にも精神的にもよっぽどハード。

だけど、変わらず自分たちにワクワクしている。

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