「私が集中すべき世界は別にある」という言葉は、ものづくりの経験から。
昨日は嵐のような出来事があって、少し驚きつつ人の多様さを感じた日だったのです。家族の身勝手な振る舞いと発言に反論をしてしまいそうになった瞬間、この言葉が頭をよぎったのです。
「私が集中すべき世界は別にある」
イライラした時や不安を感じた時、自分の気持ちに向き合って内省を深めたりして、自分がどんな振る舞いをすると良いのかをよく考えることがあるんですね。
特に身近な人に対してそのような感情を持った時が厄介で、圧倒的味方であると認識して期待してしまうだけに、思いがけず期待を下回る結果を突きつけられた時、グサッときたり、イラっとしてしまうわけです。
けれど最近は、進むべき道がはっきりしたので、大抵のことはこの言葉で鎮静化するようになりました。
趣味、仕事。いま自社初のシステム開発を進めています。初めてつくったプロダクトがもうすぐリリースを迎えるのです。今までは誰かのものづくりを支える立場でずーっとやってきた自分にとっては、なんとも初めての経験で、ものづくりの楽しさとか良さをわずかですが実感しています。
もちろん、誰かをサポートする仕事も相変わらず好きで、昨日も組織開発コンサルティングをお引き受けしている企業様の朝礼で進捗を聞かせてもらい、ほっこりしたところでした。
けれど、「ものをつくる」ということは、ひと味違った喜びがあるのですね。もう、この子をしっかりと育てるぞという感じ。
このプロダクトを一人でも多くの方に使っていただいくことが私の願いであり、そのためにはここに集中しなくちゃやりきれないと思うようになりました。
身の回りにある雑音となるものは、しばらくシャットアウトです。もう集中あるのみなのです。
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