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初めまして!

この記事まで飛んできていただいてありがとうございます。
西田紘人(にしだひろと)と申します。
今までずっと読む専でしたが、
もっと自分もアウトプットをしたいと思い意を決して投稿することにしました。

まずは簡単な自己紹介をさせてください。
現在は私は都内のベンチャー企業で既存のお客様のIT課題の解決に向けて提案をしたり、社内の体制整備をしております。
一方で個人ではアプリ開発やライティング、マーケティングを学んでおり、
本や経験から学んだことを積極的にアウトプットできたら良いなと考えてます。

今はそんな私の生い立ちを書きました。良かったら読んでみてください。

私は1990年に男2人兄弟の次男として、静岡県の浜松市で生まれました。
めちゃくちゃ田舎でいわゆる限界集落地域でした。
小学校の同級生は4人で、信号の渡り方の授業があったり、
熊が出たので集団下校する等平成とは思えない経験をしました。
因みに地デジ化に間に合わなかったので
一時的にテレビが見れなくなったこともありました。
そんな田舎でしたが小学生の時は
ポケモン、MTG、遊戯王etc...ありとあらゆる室内遊びをしていました。
また、ノスタラダムスの大予言が怖すぎて普段一人で寝ているのに
その日だけは両親と一緒に寝たことを覚えています。

中学では卓球部で部長として県大会とかに出ていました。
因みに東京五輪で金メダルを取った水谷選手は地元が一緒で1歳?くらいしか変わらなかったのですが、めちゃくちゃ上手い水谷という選手がいるということで、
当時から有名だったことを試合をテレビで見て思いだしました。

高校は家が遠かったこともあり、
運動部には入らず友人達と公園でずっとバスケをしていました。
大学進学を考えたときに経営者になりたい!と考えていたので、
経営学科を志望し、明治学院大学へ進学することになりました。

大学ではテニスサークルに入って、居酒屋さんのキャッチのバイトをするという
絵に描いたような生活や遊びをしていました。
高校までは自力で家に帰ることができなかったので、
自分で家に帰れるのはこんなに素晴らしいんだと遊び尽くしていました。
一方学業は、塾に通うという経験がほぼなく宅勉でやってきたこともあり
あまり単位を落とさずに3年末の時点でほぼ卒業確定するこができました。
就活は経営者を夢見ていたので、「どこも受かんなかったら起業すればいいや」と思うと同時にどうせ受けるならベンチャーだと考え、20社弱ベンチャーを受けて
受かったので受かったところへ就職することに決めました。

短くしようと思ったのですが、
長くなったのでここまでにします。
社会人になってからの話は今後アップできたらなと思います!

何が言いたかったというと、田舎者が上京してきて最初に思うのは
「ハチ公って小さいな。。」ということです。

ありがとうございました。

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