ジュウロッカイのM1グランプリ

M1グランプリ、2022年3回戦が終了した。
ここまで応援してくれた人には感謝しかない。

なによりここまで、僕は漫才が苦手だった。
今でもそれが完全に克服しきれたとは言い切れない。

まず、漫才とコントの違いはなんだろうか。
僕が一番違いだと感じる部分は「話しているのが本人かどうか」である。

コントであれば話しているのは、コント内のキャラクターになる。
つまり、僕の口から発してはいるが、僕の発言ではないということだ。

しかし漫才の場合はどうだろう。
最悪なことに、完全に「ニシブチ」本人での発言になる。

そして僕たちが漫才をやる場合、基本的に僕がツッコミを担う。
大抵の場合、ボケのやることを徹底的に否定する羽目になるのだ。

以前こんなセリフがあった。

(僕がお婆ちゃんに親切するという設定の漫才で)
「(婆)親切してくれるの?ありがとう!じゃあ私のWikipedia作ってくれる??」
「(僕)なんでだよ!Wikipediaできて嬉しいの俺たち若手芸人だけなんだよ!!!」

これはひどい。

俺はそんなことを思っていない。

Wikipediaができて喜ぶお婆ちゃんがいてもいいじゃないか。

みなさんはそう思いませんか。

どんなお婆ちゃんがいてもいいじゃないですか。

俺はWikipediaができて喜んでいるお婆ちゃんの、その、痩せた首根っこを掴んで、「なんでだよ!!!!!」と、そんなこと、言えるわけない。

これを真剣に考えすぎて、ナルゲキの楽屋でまんじゅう大帝国の竹内さんに相談させていただいたことがある。

竹内さんは「考えすぎだよお~」と笑って、遠くに消えていった。
まるで喪黒福造が「ドーーーン」と言って闇に消えていく感じで。
(少なくとも僕にはそう見えた。)

そして、その「考えすぎだよお~」から約3ヶ月後、僕たちはM-1の3回戦の舞台にいた。
あの時から少しだけ、漫才に対する心の整理ができている。
それはひとえに、いろいろなアドバイスや声援をくださったみなさんのおかげだ。

今でもたまに、寝る前に目を閉じると、暗闇の中にあの時の竹内さんが出てくる。
そして「考えすぎだよお~」と言ってくれる。

やっぱり俺は考えすぎなんだろうか。

この2ヶ月間、M-1に挑む中で、漫才のことを少しは好きなれた。
確かに俺は「考え過ぎだったのかもしれない」と、少しだけ、思えるようにもなった。

そしていつか目を閉じた時、竹内さんに「やっぱ考えすぎだったでしょう~!治療完了!」と言ってもらえる日が来るまで頑張ろうと思う。
これを読んでいる、ついつい考えちゃうすぎちゃう人も一緒に頑張りましょうね。

改めて、応援ありがとうございました。


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