嫌いな食べ物を「理解」で克服した
嫌いなもの、やりたくないものが多い。
皆さんはどうでしょうか。
僕にとって地球は、嫌いなもの、やりたくないもので埋め尽くされており、Google Earthで地球を限りなく引きで見たとしても、嫌いなもの、やりたくないものは目視できる。
この「嫌い・やりたくないの性格」は昔からで、幼い頃は食べ物の好き嫌いも多かった。
具体的には、野菜のほぼ全て、乳製品のほぼ全て魚のほぼ全て、レバー、マヨネーズ、いちご、柿、メロン、ブルーベリー、梅と、あげだしたらきりがない。
「ただの食わず嫌いではないか?」と、両親がさまざまな調理方法で振る舞ってくれたが、挑戦虚しく、気持ちよく食べられたものはほとんどなかった。
しかし、今は嫌いな食べ物が1つもない。
ある瞬間を境に、好き嫌いは0に向かっていく。
小学5年生の際、給食で嫌いなトマトと向き合う僕にこんな考えが浮かんだ。
『理解しろ』
嫌いなものを理解する。
僕はトマトが美味しい意味をわかっていなかった。
それを理解すれば克服できるんじゃないか。
この瞬間から、僕の全ての好き嫌いはあっという間になくなっていった。
なぜなら、嫌いな食べ物を理解できたから。
舌の上で起きている出来事を脳で理解し、その食材や料理が何を表現しているのか、受け取ることができたから。
トマトは今まで通りの味だったが、僕が180度変わったおかげで、食生活が楽しいものとなった。
さて、こんな経験は大人になってからもできるのだろうか。
ここ1年くらい、僕の前にはチェキという大きな壁が立ちはだかっていた。
チェキとは、今急速な勢いでライブシーンに根付いてきている文化で、芸人がお客さんからのポーズ指定など受け写真を撮り、メッセージなどを書いて渡すといったものだ。
僕はチェキが撮りたくなくて、これまでほとんど全てNGにしてきた。
それどころか、「必ず撮ってください」という場面ではカメラマンの前で暴れたり、関係のない周りの芸人に悪態をついたりなど、散々な振る舞いをしてきた。
(酷すぎる、すいませんでした。)
その結果今では「ハチカイのチェキください!」と頼むと、警備員とこんぽんのみの写真が届くという不気味な状態になっている。
僕の「嫌い・やりたくないの性格」が、こんな心霊写真を生み出してしまった。
そんな中で最近、ハチカイを応援してくれる方を以前より拝見するようになった。
応援いただく姿を見て、チェキの意味を少しずつ理解できてきたかもしれない。
ダウ90000の園田さんは「ニシブチさんはチェキ撮らなくていいっすよ」と笑ってくれた。
どうだろう。
俺はチェキを、理解で克服できるか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?