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和蝋燭の世界に学ぶ

昨日は京都伏見にある中村ローソクさんにお邪魔し、4代目代表田川さんにお会いすることが出来ました。
私はこれまで和蝋燭を近くに感じる事が無く、改めて洋蝋燭との違いや、過去に和蝋燭が日常であった歴史や文化を含めて改めて認識する機会となりました。


和蝋燭と歴史

和蝋燭は「櫨(はぜ)の実」という原料を蝋として作られ、純植物性由来のものとなっています。
また、洋蝋燭との違いは芯の部分にもあり、糸ではなく、いぐさの芯を巻いて原料としています。

和蝋燭は炎が大きく揺らいだり跳ねたりし、風の影響を受けても消えにくく、明るさも独特の趣があるそうです。
その原理は敢えて芯の部分に空気の通り道を作り、燃えてきたら微妙に不完全燃焼状態を作るという製造方法にあります。
(これは説明難しい!工程を見たら分かります!)

和蝋燭は室町時代から国内に流通が始まり、庶民の間でも使われ出してきたのが江戸時代後期から明治時代中期にかけてだそうです。
精製された櫨の蝋は、高級品として鬢づけ油やフェイスクリーム的な用途で使われ、余り物や精度の悪いものを蝋燭の原料にしたといいます。
今でも高級な海外の化粧品に「Japan wax」と記載されていたら櫨原料らしいです。

へぇ〜蝋燭だけでなくハンドクリームや整髪料としての使われ方もあったのか〜と感心していると、田川さんが徐ろに手を出して左右の皮膚の艶の差を見せてくれました。
左手は常に蝋がかかるため、シミの数が全く違う事に驚きました!

驚きはそれだけでなく、肌に塗れるどころか食べることも出来るそうで、昔は非常食としても活躍したということです。
匂いを嗅ぎましたが、正直食べるのはしんどいだろ!と思いました。笑
メイン食材として食べるのは当時の人もさすがにキツかったと信じたいですが、長期戦における城籠城の燃料兼非常食としての役割は有用だったのではないかと推察できます。

櫨の実は今や超希少な原料となっており、特定の商流にしか卸されないような生産量となってしまいました。
電気や安価で量産可能な洋ローソクの普及により、和蝋燭屋さんも全国で10ヶ所、京都に5ヶ所にまで減ってしまい、承継問題には頭を悩ませているとのことです。


和蝋燭と文化

田川さんは和蝋燭の文化や技術を後世に繋いでいくために様々な仕掛けを行なっています。
初めは自社だけでの取り組みから、業界を巻き込み、自治体、行政、海外団体と輪を広げています。

私は今回、和蝋燭の歴史や作り手の想いを聞き、和蝋燭が無くなってしまうと、過去日本人が当たり前に感じてきた独特な美意識や精神性を失う可能性もあるのではと危機感を覚えました。

先述したように、和蝋燭は独特な炎と明るさによる照度が美しく、例えば寺本堂に和蝋燭によって映し出される造形は形容しがたい奥行きがあるそうです。
ライトで写す明かりと和蝋燭で灯す当時の人々が見ていた世界はやはり別物なのです。

また、原料が純植物性素材であるが故のサーキュラーエコノミー的な考え方、文化から改めて学ぶものは多いはずです。

和蝋燭そのものを残していくことも当然大事なのですが、私はそれ以上にそこから生まれる精神性や文化、美意識を継ぐことが大切なのではと考えています。


次世代継承のために

田川さんは何度も継承の難しさや文化として認知される重要性を説いていました。
例えば和蝋燭の灯りを使ったイベントを自治体と京都で開催する企画をする際にも、どうしても短期的なインパクトや集客に囚われ、インバウンドや観光客向けに発信してしまうことが多いようです。

文化を理解し継承することは簡単なことではないと思います。
まずは、地元の人に文化や世界観を認知してもらったり、子供の頃から触れて感じてもらうような中長期の戦略的な仕掛けも大事だなと思いました。

次回は佛師さんのことを少し書こうかなと思います。

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