noteの価値とは

前回のnoteを見返して気付きます。
なんだこれは!
何が言いたいのかよくわからない!
反省です。
とりあえずやりながら学びます。


この文字データに価値があるのか

私が今書いている文章は決して多くの人が読んでいる訳でもなく、一瞬でWEB上のアーカイブとなり、当てもなく彷徨うデジタルゴミになる可能性が高いものです。
前回投稿にも書いたように、内容によってはデジタルタトゥーとなり得るリスクや、逆に一定時間で完全消滅する可能性もあります。

では何故私はそんな意味なさげな事に時間を使い投稿をしてみようと思い立ったのか!

それは一緒にやりましょうと言ってくれた仲間の存在があったからです。
日を同じくして共にnoteを始めた栗原さんの投稿を見て、内容も読み物としてもなんて素晴らしいんだ!と素直に思いました。
また、既に日々の連続投稿をされている諸先輩方の投稿を改めて読むと、その精細さやユニークさ、感情に訴えかけるレトリックに驚きます。

この感情に向き合い、自身の文章の現在地を知ることが出来ただけでもnoteを始めた意味があるなと思いました。

私のこの投稿の価値は文字情報だけではなく、前述した関係性やそこから得られる副次的な学びや気付きにあるような気がします。


日記とは違う役割

あれ、そしたらnoteって日記?
いやいや日記ともブログとも異なるプラットフォームだってアプリをダウンロードするときに書いてあったような…
居酒屋でお喋りしながらとりあえずダウンロードした時には何にも考えていませんでしたが、ある時は日記、ある時はブログの役割をフレキシブルに使い分けて、単なる記録だけでなく私の感情や記憶を中心に綴る事にしようと思います!
大前提に読み手がいる想定でライターになるということ、ここが単なる日記と違うところではないでしょうか。

文字数や完成度、殆ど誰かに見られてるわけでもないのに気になり出したら止まりません。
ですが今日はここまで書けた自分を褒め、あっさり終わりにします!!

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