【2021’4’4】 後回し 【4080文字】

いずれはやらなければならないけれど、めちゃくちゃやりたいものではないというものは、どうにも後回しにしてしまう。そして結局はやりたいことを先にやってしまうのだが、やるべきことがチラチラ脳裏によぎってさほど楽しむこともできない。そんなことは何百回、何千回と繰り返しているはずなのに、なかなかその教訓を活かすことができない。本当は締め切りが近づく前に、圧倒的に前もってタスクを処理しておき、そんなことはすぐに忘れて自分のやりたいことだけをただ純粋にやればいいのだが、いつもそれは叶わない。

そしてこれを書いていることも、ある種の逃避ではある。そしてこれを書き終えた時にはいよいよそれをやらなければならないほど追い詰められている。なんだか軽微なストレスが静かに蓄積しているのがわかる。それはやりたいことをやっている時間に正比例するような感覚だ。今日一日は食欲も増していた。冷蔵庫にはもう何もないのだが、しかし買い物に行く気も起きない。もうすぐバイトのシフトも減り金銭的余裕もない。知的好奇心が増すにつれ、以前より多少必要とする金銭が多くなったのだが、収入は変わらないどころか微減している。まあ、数ヶ月辛抱すればまたそれも程なく解消されるのだが、なんだか蠢くシコリを抱えた気分だった。そういえば今日は久々に読んでもなかなか飽きない本に出会った。これはなかなかないことだ。僕は集中力がこれっきしない。大学の講義なんて30分も経てば飽きて別なことを考えてしまうし、大抵のテレビ番組や映画もそれくらいの時間で飽きてしまう。自分が熱中できたとしても2時間が限度で、そうしたらまた別のコンテンツへ渡り歩いて1日を過ごす。そのくせ、1日に多くのことをするのは嫌いで、できれば大きなことは2個までしておきたい。そう考えると、僕は最大でも4時間しか稼働できないことになる。自分で書いていて呆れる。ただ、バイトなんかは半日くらいは慣れれば平気で働いているのだから、本当はそんなこともないのだろうけれど。僕は何事にも意味を見出さずにはいられず、なんでも教訓化したがる。冷蔵庫にあるプリンを食べて、あとでそれはわたしのだったにと言われたら、『想いは言葉にしなきゃ伝わらない』というふうによしよしと思って、数日後にはその教訓だけを覚えていて、出来事自体はすっかり忘れてしまう。ただ、何事も意味化することには対して意味はないようなきも最近はしてきている。やはり世の中には事象しか本当は存在しなくて、何があって何がないかくらいしかわかるものはないような気がしている。だけれども、僕は意味によって自分を修飾したいし意味の追求によって見えるものを華やかにしていきたい。価値を価値たらしめて、たとえその価値がただ自分だけの価値だったとしても、僕が純粋にその価値を信じれば、それは確かに意味のあるものだっていうことは胸を張っていいことなのだと思う。しかしそれを真っ向から否定して、生きること自体にはなんの意味もないから、ただ死ぬことはみんなが止めてくるし、幸いにも悲しんでくれる人がいるから、ただ死なない程度に生きていけるくらいの社会的責任を果たしたら、あとはただ自分がなんとなく幸せだなと漠然と感じることをわきゃわきゃとやって、苦しい生の時間を誤魔化して生きてみるというのもそれはそれで一興だと思う。結局は自分の出自や周りの大人、環境、たまたま出会ってきたコンテンツの複雑なガチャで自己が形成されていき、その一瞬の気分で自分の人生のあり方にレバーを傾けてみて、どうにかこうにか生に意味を見出してみたりみなかったりするにすぎないのだと思う。今日はなんだか一文が長くなってしまうし、書いていてもなんだかよくわからなくなってきた。ただ、これは推敲もしないしよく考えて書いているわけではなく、あとから気に入らない文言を見つけたからって戻って修正したり、言い方を変えたりなんてこともせず、ぶっつけで一本するするてらてらと書いているだけだから、内容そのものには大した意味もないし、ただ自分の混沌とした頭の中を整理できているのかいないのか、でも湧き出てどうにも書いてしまうようなことを一筆で書き殴っているだけだから、多少読みにくくたってそれはそういうものとして考えてほしい。いや、考えなくてもいい。今日は速い。もうあと200文字ほどしかない。書いているうちになんだかやる気が出てきた。今日ちょうど、僕はやる気を出したり、元気を出したりするということを、もうちょっと他者の力に頼ってもいいような気持ちになった。厳密には他者ではなくコンテンツや外部装置的なものなのだが。そういえば、僕は自分の信頼を全betできるような友人がいないのかもしれない。いたかもしれないが、そういう友人だった人とは今は疎遠だ。今となっては親にも自分の内は明かしたくない。誰かの膝に頭を埋めて大泣きするなんてことはもうできない。ただ、たとえば圧倒的にだれかを人を信頼して、その人の温もりを感じ、他人からもらえるであろう最大級に幸福を感じたとして、しばらく経ってから、それがひどく裏切られて、心が壊れて修復できないほどになって、もう誰も信用できなくなって、何もする気が起きず、ただ光を避け快楽にふけるなんていうのもまた一興ではある。こんな人間のある一ルートの典型みたいなものを辿ってしまっている状況をもし途中で自覚してしまったら、もしかしたらふと笑ってしまうかもしれない。多分裏切った側だって、さほど裏切ろうと思っているはずはないし、ただ人間が人間であるが故の弱さがそうさせているだけであって、決して理性ではそうは思ってはいない。人間の根源的な欲望に理性がまんまと負けている姿はなんともおもしろい。僕はそういった人間が好きだし、自分だって打ち勝てる自信は全くない。欲望の理由を理性では説明しようと試みること自体が間違っている。それは領分違いというものだ。ただ、この生物的快楽を嬉々として受け入れ開き直っているのは全く好ましくない。僕がおもしろいと感じるものは欲望と理性との対立によって生まれる、極めて人間的な工夫にある。ただ、人間という元来動物的であり、後天的にその動物的なものの中の一部は完全に理性の範疇で抑制できる可能性を秘めているこの乗り物を、うまく乗りこなして、人間としての人間を極めていくのか、あるいは人間という乗り物の制御を見失い、今の文明にはそぐわない、極めて動物的な乗り物になってしまうのか、その是非はこの好みではあると思うのだが、ただ僕は完全にはなり得ない前への挑戦をしようとする者の姿に人としてのおもしろさを感じる。気づいたら2000文字を大幅にオーバーしており、あと250文字ほどで3000文字になりそうなので、せっかくだからもう少しだけ続けよう。いちおう断りを入れておくが、先程までにつらつら書いてきたものたちは、現在のあまりにも未熟な僕の、成熟への一過程の断片であり、その考え方はあまりにも幼稚で、勉強不足で、ときには自覚せず誰かの倫理観に触れているものである可能性は重々であるが、だからといってそれを完璧になるまでは書かないでおいて、自分の脳の中だけにしまっておくというのは、あまりにも完璧主義がすぎる。僕はまがいなりにも、不完全さというものにも価値を感じ、それをいちいち文字化しようということにだって意味を感じる。こんな何十億人のうちの僕1人ごときが何を書いたって何も変わらないし、一個人の名前を出してそれを公に批判しているわけでもないのだから、それくらいは若者の血迷いごとと思って大人の余裕で受け止めて欲しい。さて、今日読んだ漫画はひどく飽き、やるべきことはこれからだし、早起きもできなかったし、睡眠データをみてもやはり睡眠が浅かった様子。ただ、大好きなお風呂には2回も入ったし、引きこもって一日中読書できたし、好きな動画も消化できたし、なんだかんだいって普通の1日だったのかもしれない。普通じゃダメって思っちゃうけど、多分5年前の今と比べたら、今は随分と崇高なことをしているように思う。最近思ったテーマは、『脳を早く老させる』。脳を早く老させるには、とにかく頭に有益な情報をたくさん入れて、それを糧にしてたくさん考えて、それをたくさん試してみて、たくさん考えて、たくさん経験して、、を繰り返すしかない。多分、このままの脳みそで老いたら、若い人をみて、若いっていいなと思うのだと思う。ただ、超絶若くて超絶賢い人って、その能力でまだ若いの!?ってなるんだと思う。そういう姿ってなんかかっこいいなと思った。僕は大学に入る前の人生の大部分を今となっては無駄と感じるように過ごしたけれど、ただ昔の時間を意味があるって思える生き方もきっと選択できただろうし、今自分が昔の生き方に価値を見出せなくなったのは、単純にそのあとにもっと輝くものを見つけてしまったから。いわば、僕の20年はそれを見つけるためだけの糧でしかなくて、それを見つけてからは徐々に歩幅を広げている。でも、昔の僕が今の僕が大切にしている価値観に触れたところでその価値観を大切にしてくれるとは限らないし、別のものに飛びついてる可能性だってある。それに、僕の人生で出会ってきたものが少し違えば、僕はまだ僕の生き方の指針を見いだせずに、なんとなく世界を生きていたのかもしれない。そういった意味で、20歳ほどでそれの一端を見出し、それに向かってなんとなく歩めている時点で、最上級とまでは言わないまでも、僕はある程度は幸運だったのかもしれない。旅がしたい。ただ、純粋に旅がしたい。孤独だけが僕を成長させてくれる。そして、孤独であるながらも、微かに人と繋がっていられているという感覚が、僕をより真理への希求へと誘ってくれるのかもしれない。どうしてもそれっぽいことを書いた後にはかもしれないでぼかしてしまう。それもまた一興。今日はこれで終わり。4000文字を超えてしまった。じゃ、またね。