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こんな景色なんかじゃない でも思い出せない(小説「よだかの片思い」を読む)

 小説「よだかの片思い」を読みました。島本理生、集英社文庫。

あらすじ

 生まれつき顔にアザがあり、複雑なコンプレックスを抱えながら生きてきた大学院生・アイコ。彼女はある日、出版社に務めるかつての同級生から、アイコと同様のものを抱えた人々のルポルタージュ本を作るため、インタビューに答えてほしいという依頼を受ける。ルポルタージュ本は反響を呼び、映画化決定。そして、アイコはある男と出会うことになる…。新進気鋭の映画監督・飛坂逢太との出会い、それはまさに、アイコの人生の転機、でした…。
 というお話、だと思います。

だったら犬に餌なんてやるな

 複雑な(どういうふうに複雑?)コンプレックスを抱えて生きてきて、まともに人と接するということがよくわからなくなってしまう。
 色々なことを諦めてしまう。
 人に強く興味を持つことがあっても、コンプレックス故に心も身体も動けなくなってしまう…。
 主人公アイコのその辺りの描写には、強く引き込まれるものがありました。
 通勤の電車内で読んでいたのですが、まさに通勤時間が苦にならない、という状態でした。通勤時間は苦になりませんでしたが、読んでいる自分の精神はやや辛かったですが…。
 
 しかしながら、こう…ラブゲージっていうんですか、世間では…それが上昇してきてですね、そんな感じになるとですね、途端に…ぼくの興味が…薄れて…薄れるなよ…サーバーの点検当番を代わりにやらないととか…データ連携を代わりにやらないととか…固有結界は崩壊し現実に戻りました。
 ↑心が…心が貧しくなって人間では無くなってしまう!([c]バナージ)←そうは言ってない
 
 作中で、主人公のアイコと同じ研究室の原田くん(ETに似ているということで通称・ET。原田くん、君は世界を滅ぼしてもいい)のことが気になりました。原田くんはそれでいいのかな。後で「だったら…だったら…犬に餌なんてやるなッ!」ということになるのではないかとぼくは心配です…。
 原田くんのコンプレックスは霞んでしまっていいのか。どうか。
 
 酷いかんそうですね。ごめんなさい。

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