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2024/5/21 日記 "ベルギー・アントワープ移民街、場末のラブホテル、エモーショナルキャンセル、自己不在化、非物語化、異世界転生"

こんな雨の日は、場末のラブホテルのことを思い出す。

─ブラウン管テレビにうつるノイズまみれのアダルトビデオ。はがれかけた花柄の壁紙。外とつながっていない偽物の窓。丸いタイルが並ぶ正方形の湯船。ホテルの名前が書かれたライター。薄暗い照明の下のソファで、背筋を伸ばして、覚えたてのタバコを吸う女子大生。世間からも時間からも隔絶されたような「空間」のことを思い出す。

あっ、それって、「エモい」ってやつですよね。と君は思うかもしれない。でも、そういう空間がもたらす印象は、「エモーショナル(感情が揺さぶられる感じ)」とは対極的な「エモーショナルキャンセル」「反魔術的」「とことん無感情的になる感覚」に近い。

時代に取り残されたような空間の中で、今が何時かわからない。
どの時代にいるのかも不確かになる。
どの常識の下にいるのかも不確かになる。
どの美意識の元にいるのかも不確かになる。
今この瞬間、自分が「どこにもいない感」だ。

「0」
になる感覚だ。

知らない駅で降りて、地図を見ないで歩くことが好きだ。
「どこかにいくこと」より、「既知外の場所」にいること自体に楽しみを感じる。

けれど、
「自分の中の常識やルールから全てがかけ離れてる様子を巡るのが面白い」と感じる理由は、
「刺激的なものがたくさんある」という感覚だけじゃなくて、
「それまでの自分が不在になる」という感覚の面白さにも強く由来してる。

数時間前の自分や、昨日の自分にとって、「どこでもない場所」に自分がいる。
それが、おもしろい。

場末のラブホテルも、海外の辺境も、「どこにもいない感覚」になれるという意味ではイコールだ。

でもこれは、ワクワクだけじゃなくて、少しの恐怖感もセットになる。
そのまま、二度と元いた場所に戻れなくなるんじゃないか、と少し不安にもなる。
自分が気付いてないだけで、実はもう体ごと別の世界にズレ込んでしまったんじゃないか、とも思う。

でも例えば、本当にそのまま帰らず、そこの土地に居座り、元いた場所の習慣や言語を忘れながら、そこの土地に馴染んでいったら、それは文字通り、「別の世界にズレ込んだ」のと同じことだ。「異世界転生」だ。

そしてそれは、本当は別にファンタジーでもなんでもない。

自国の財政難・政治不信・戦争からの避難などで移民してきた人にとっては、それは連日何千何万と、現実と日常の中で起きていることだ。ベルギー・アントワープは移民が多く、ここがどの国なのかわからなくなるような不思議なムードだった。

地方から上京してきた大学生も、知識ゼロでブランドを立ち上げた青年も、結婚して渡米して連絡が途絶えた友人も、ある日ある瞬間に、それまでの自己をゼロにして、元いた場所の習慣を能動的に忘れようとして、その土地に馴染むことを選んだ。どこにもシェアしないまま、物語化しない(アンチ・ナラティブ)まま、自己を再定義させて。

僕ら、情報と文字を追いかけて生きて、そこで世間や世界の全体像を把握しようとするけれど、本当は、情報にも文字にも残らない、記録されない、シェアされない、レビューされない、そんなものの方が、世界の大半を構成してるんだよな、なんてことを、近頃よく思う。

だから何というわけではなく、これはただの、日記である。

こないだ友達と行った個人経営の居酒屋は、料理は全て完全にめちゃめちゃ美味しくて、おかみさんは明るくて優しくて、オープン10周年の招き猫が飾られていたけれど、グーグルマップのレビューはほぼ書かれていなかった。

「なんでだろうね」とつい言ってしまったけど、
本当は、それを不思議がる方がおかしな話なんだよな。

お店は、そして人は、インターネットに開いてるんじゃなくて、町に、道に、人に、空間に開いて、そして続いてるんだから。

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