敏感すぎる子どもは親に言えない

→→ つづき

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高校生になって、やっと私は自由になれました。
なんて心地いいんだろうと思う毎日。
好きなことをして目立ってしまっても別に誰も何も言わないし、むしろそういう姿を買われて、先生たちから色々オファーしてもらえました。中学生向けの学校説明会で喋るとか、校則を見直す(制服のルールを変える)プロジェクトに入れてもらうとか。
そういうのが鼻について気に入らないなんていう人はいなかったし、そういう空気も無かったです。周りを気にせずやりたいことを出来る環境は今までなかったので解放された気分でした。
みんな同じくらいの温度で文化祭や体育祭、ほかのどんな行事も熱くなって本気で楽しむのが当たり前の学校でした。勉強も程よく競い合えたのも良かったです。小テストがある授業の前は、クラス中休み時間漬けで必死に勉強していました。必死なんだけど和気あいあいという感じ。
部活も盛んな学校で私は吹奏楽部に入っていました。野球部の応援に行きたいのと学指揮やってみたくて。

高校に入ってから、本当に、のびのび活き活きしていたと思います。
敏感すぎるさんが影を潜めていた、ほんの一瞬。
楽しくて何にも縛られずとらわれず、開放的に過ごした時間でした。

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高校1年生の冬休み明け、脳の病気が発覚しました。
学校を休んで病院へ行ったので担任の先生は心配してくれていたのですが、私の母が学校に伝えた唯一のことが「特別な扱いはしないでください」でした。

それから私は結構頻繁に体調が悪くなって病院へ行くようになりました。
朝起きたら視野が欠けていたり、めまいで立っていられずしゃがみこんだり、壁に寄りかからないと座っていられないこともよくありました。
なかなかびっくりすることが体におきていると思っていましたが、
あれ……私、お父さんにもお母さんにも心配されてないような気がする。ふとそんなことを思いました。

もう高校生なんだから病院くらいひとりで行けるでしょと言われて、お金をもらってひとりで通院していました。病院は電車で乗り換えも含めて1時間以上かかる場所でした。学校を早退したり遅刻して通院していたので、制服を着て行くことがほとんどでした。

脳神経外科の待ち合いスペースにいるのはお年寄りばかりで、丈が短いスカートの制服を着ている私はなんとなく場違いな感じがしました。周りを見ると大体は誰かしら家族が付き添っています。
いいな……と思ったけれど、私は一緒に来てほしいと言えませんでした。きっと私の病気なんて関心がないのだろうと思っていたから。
嫌な顔されるのやだし。
だから病気のことを話す人がいなくて、学校の帰りに専門書があるような大きい書店に寄って医学書を読んだりネットで情報を漁ることが多くなっていきました。この病気って一体なに?これからどうなるの?飲んでる薬ってなんのためなの?

同じ時期、クラスにもうひとり病気の子がいました。お母さんがものすごく心配していて休み時間に電話をかけてきたり、今日は早く帰ってきなさいと言われて早退するような家庭の子でした。そこまで?と思う人もいたけれど私には羨ましく見えました。

そういえば、小学生の頃、お腹が痛かったり具合がわるくなって、保健室の先生がお母さんに連絡して迎えに来てもらうと、怒られるんじゃないかと思っていました。
大丈夫?とやさしく声をかけて心配してもらった覚えがない……。
(いまは心配してどこでも駆けつけてくれる母です)

病気には関心がなさそうに感じていましたが、学業に関心をもってくれていたのはよくわかりました。病気になる前は成績優秀者と言われる枠に入れて、クラスで1位2位を争っていました。ところが病気がわかって薬を飲むようになってから、成績はどんどん悪くなりました。常に薬の副作用で眠くてたまらないのです。
授業中も気づけば寝てしまい、家で勉強していてもすぐに寝てしまいます。そうなるのは私にやる気がないからだと家で言われていたので、自分の努力が足りない、私が悪い、だけど眠いのはどうしようもできないと、苦しめられました。

授業中に寝てしまうし、座っていることもつらく保健室の常連になって、友だちにノートを写させてもらうことが多くなっていきました。クラスのみんなは本当に優しくて救われました。保健室に送り迎えしてくれたり、めまいでふらふらしている時の移動教室は教科書を持ってくれたり、休み時間に自分の席から一歩も動けず机に寝そべっているときは声をかけてくれたり、女の子も男の子もみんなが助けてくれて、そんな環境にいられてしあわせだったと思います。

だけど

なに?悲劇のヒロインみたいに思ってるんじゃないの?
家に帰るとそう言われてしまう……。学校でちやほやされたいなんて思ったことはないし悲劇のヒロインなんて思ったこともないのですが、そう見えていたのでしょうか。友だちに助けてもらっていることは迷惑をかけていることだと思われていたのでしょうか。

人に迷惑をかけてはいけない。

これは子どもの頃から言われてきたこと。

徐々に、私が学校に行くとみんなに迷惑をかけてしまうという気持ちが強くなっていきました。
なにかと、私がいると迷惑かけちゃうから……と友だちに言うようになり、迷惑をかける存在なんだと思いながら生活するようになりました。のびのび活き活きしていた私は消えてしまいました。

迷惑だなんて一度も思ったことないよ!
そう言ってくれる友だちがいつも周りに居てくれたおかげで、なんとか高校生を続けられたと思います。

ひとりで通院していた私は、病院で先生に言われたことをひとりで消化していました。もしかしたら手足が自由に動かなくなるかもしれないと言われても、そうなんだとだけ思って、ネットで同じような人がいないか探しました。親は病気のことに関心を持ってくれないというか、知りたくもないんだろうと思っていたので私から話すことはありませんでした。聞かれることもなかったし……。
ある時、私が病院でなにを言ったのかわかりませんが、先生が家に電話してくれたことがありました。もう少し私のことをわかってあげてほしい、みたいな内容だったのだと思います。病院で先生と話したことを、家で話せない私を見かねた先生の優しさでした。でも電話に出た母に、そんなこと言われてもどうしたらいいの?という感じの反応をされて逆に気まずくなってしまいました。

そんな感じのまま高校3年生になり、受験生になりました。
眠いのはやる気がない私が悪いし、理解に時間がかかるようになったのも私の努力が足りないし、どんどん追いつめられていきました。
病院の先生は勉強のことも心配して参考書を一緒に見てアドバイスをくれたりしました。病気は事実だから出来なくて仕方ないこともある、焦らないで2浪するくらいの気持ちで頑張りなさいと応援してくれました。その話を家でしたら、なにを言ってるの。2浪なんてとんでもない!浪人させるようなお金はありません。ぴしゃりと言われてしまいました。

そうだよね……。わかってる。わかってもらえると思ってないからもうこんなこと言わないよ……

3年生になってから予備校に通わせてくれて、参考書も好きなだけ買わせてくれて、受験に必要なことはなんでも助けてくれました。何ならオープンキャンパスに一緒に行ってくれたし、受験会場の下見に連れて行ってくれることもありました。だけど、変わらず病気の私にはノータッチだったのでますます何も言わなくなりました。体調が悪いと言ってしまったら、やる気が足りないだけなのに病気のせいにしてると思われるのが怖かったのです。

この頃は、敏感すぎるさんの原因を強力にした時期だったように思います。

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結局、どこの大学にも受からなくて浪人することになりました。

高校を卒業してから予備校に入るまでの期間があったのですが、なんと、その間に歩けなくなってしまいました。
友だちと卒業旅行に行った帰りから背中と腰が痛いなと感じて、病院へ行きました。痛みに耐えられず入院もしました。それなのに原因がわからないまま悪化する一方でした。座っても立っても歩いても寝ても、なにをしてもが激痛が走るのです。これ以上強い薬はないと言われた鎮痛剤も全く効きません。少しラクになれる姿勢で横になることしかできず、予備校のクラス分け(レベル分け)の試験を受験できないまま4月を迎えることになりました。
気晴らしにピアノを弾いてみても腰が痛くて30分ももたず、散歩しようとしても、ほんの5分もしないうちに痛みで歩けなくなってしまうという状況でした。

どうにか90分座っていられるようになり浪人生活が始まりました。ひとりぼっちでした。でも浪人って友だちをつくって勉強するものじゃないよねと思うようにしていました。もちろん、そういう気持ちは家で話すことはなく、高校生のときに通っていた予備校のスタッフや先輩に聴いてもらいました。腰が痛くて歩けない症状はなくなっていきましたが、その後トイレに行ってもしばらく排泄出来ない状態が続きました。周りの音が聞こえると出ないのです。ものすごく周りの声に敏感になっていたように思います。
難関大学を目指すクラスの人たちが、レベルが低いクラスはせめて教室だけでも高い所にしてるらしいとエレベーターで話しているのを聞いて、私のことだと思ってしまいました。持っているテキストでレベルはすぐわかります。そういう話とか、話す人たちのテンションとか、感じるのが苦痛でたまらないのです……。

トイレは耳をふさいで周りの声や音を遮断すればスムーズに排泄できるようになりました。

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1浪して大学生になりました。
志の高い友だちが出来て一生分の学びを得たと思います。ただどうしても理解が追いつかないので、(高次脳機能障害のため……)空き時間は図書館にこもって、行き帰りの電車も、家に帰ってからも復習をして勉強漬けの毎日でした。勉強したいことをとことん追求して学べる大学生活はとても楽しかったし、この生活をさせてくれる親には本当に感謝しています。

勉強が楽しくて仕方ない一方、私のなかの敏感すぎるさんが多く現れるようになりました。
努力して入ったゼミなのに、授業の直前、突然行けなくなってしまうということが起こるようになったのです。どうしてそうなるのか見当がつきません。とにかく何かが私のなかにあって、それがあふれて涙が止まらなくなってしまってゼミに行けない……。
そういう状態になることをどうにかしたいと思うことはなくて、というより、どうにか出来ると思っていなかったので、行けない日は欠席しました。

これと言った理由が思い浮かばないのに、嫌な感覚になったり落ち着かなかったり不安になったり、泣いちゃうこともあったり、小さい頃からあったみたいです。

いつからか、気づくと足を引きずって歩いていた時期がありました。
左足が思うように動かない……でも引きずって歩くことなら出来る。家のなかを動くくらいでは気づかない。
身体の不調は、1週間様子をみれば大体治ると思っています。もし1週間で改善しなかったときは病院に行くことにしていました。

1週間経っても治りませんでした。
10日経っても治らない。もう病院行こうかな……
でもなぁ……
葛藤しましたが、同じゼミの友だちから「病院行ってスッキリするほうがいいんじゃない?」そう言われたのが決めてとなって行きました。病院。

歩き方が病的でリハビリも必要ということで入院になりました。
いつもこうやって、家族が知らない間に不調になって勝手に入院していました。
とは言え、寂しかったので家族が毎日来てくれるのはありがたかったです。

退院する段になり、主治医から検査結果や今後の生活のことなど面談がありました。
そこで、「親子関係うまくいってますか?」と。
「体調が悪くなったとき、おうちの人に話してる?」

いいえ。。

どう触れていいかわからなくて。。

なにこの親子ww

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周りの、人でも環境でも、いろーんな物事を過剰に受け止めてしまっていることに気づかず生きているであろう、敏感すぎるさん。

私はソーシャルワーカーをしていましたが、病院実習のとき「相手の気持ちを感じとりすぎてしまうから、感情移入もしやすい。この仕事に向いていない」と言われました。その時は反抗しましたが、そうかもしれません。
感情移入しないように、と気をつけても自然にからだが受けとめてしまうから自分の意思ではどうしようもできない。
どうしようもできないことでからだに負担がかかれば、そのうち倒れるに決まっています。実際そうでした……

とにかく淡々とこなす仕事に就いて1年経ちますが
こういう仕事が、長く続けられる仕事なのかもしれません。
本当は、接客も人も大好きだから淡々とこなしていく職業に物足りなさを感じているけれど。

やりたいこととできることは違うし、できることが向いていることかどうかもまた違うと気づいたこの頃です。


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話がまとまっていませんが、これで終わりにしようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。
最後まで読んだのに、と思ったらごめんなさい。