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読み切れなかった本たち

今年もたくさんの本と出会いました。その中から選りすぐりのものを何冊か…ではなく、今回は読み切れなかった本たちを紹介しようと思います。
「読み切れなかった本」には、やり残してしまったことへの反省や後悔の気持ちもありますが、「まだまだこれから」という楽しみの余白でもあります。
完成したものごとだけが、ことさら「評価」の対象になりがちですが、中途半端であったり、未達成のものごとの中にこそ「価値がある」と考え続けたいです。

ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』
朝日新聞出版

あぁ、冒険に出かけたい……。コロナ禍で海外に行けない鬱憤もたまっています。
今年はアイルランドから来日した研究者との出会いに大きな影響を受けて、アイルランド関連の本や映画などをたくさん見ました。この本はそんな中から出会ったのですが、「誰でも知っているけれど最後までちゃんと読んだ人が少ない古典」という池澤夏樹さんの書評にも惹かれました。
まだ半分ほどまでしか読んでおらず、有名な「ラピュタ」や「ヤフー」の語源になった箇所にも達していませんが、すでに年に1冊出会うかどうかの「読み終わることを恐怖に感じる本」となっています。自分の持つ「常識」という世界観が、別の角度からみると、どれだけ非常識で滑稽なものか、そんなことを次々と考えさせられます。

Ciaran Thapar『Cut Short: Youth Violence, Loss and Hope in the City』
Penguin Books

ユースワークの研究会で、イギリスの研究者から紹介されて出会った本です。ユースワークの実践を、ストーリーを通して描いたのは、この本が初めてなんじゃないかな。YA文学などで、学校生活や思春期を描く作品はあるけれど、ユースワークをからめた作品はほとんどないのは残念だと思っていました。(ささきあり『サード・プレイス』くらい)
研究者が絶賛していたのに対して、第一線で働くユースワーカーからは、「これがユースワークだと思われるのも、どうかと思う」とイラだっていたので、私はこの本を読んでどんな感想を持つのだろう?と、ゆっくり読み進めながら考えています。
英語なので、どこまで理解できているか不安ですが、厳しい家庭環境、暴力と隣り合わせの日常生活、その中でしたたかに生きる若者たち、そういう若者たちと向き合うユースワーカーなど、若者支援現場の「あるある」を、誇張なくリアルに描いている印象です。まだ最後まで読めていないので、最終的にはどう感じるのかは、今後のお楽しみ。
自分も「ユースワークを描く」というチャレンジを続けているので、読むだけでなく、書くこと(描くこと)にも参考にしたい作品です。

J.P. サルトル『実存主義とは何か』
人文書房

本には「寝っ転がりながらリラックスして読むもの」と、「敬意をもって、正座して読むもの」との2種類あるのですが、この本は後者に属するものです(個人的な意見です)。なので、購入したものの、ちっとも進みません……。
「ありのままでいる」ことが、なんとなく無条件に「良い」こととされている中で、存在することそのものにつらさを感じ、「いなくなりたい」と訴え続けている若者に、私はどうかかわったら良いのか、どんな「ことば」を持てば良いのか、その模索に少しでも希望や手がかりが欲しくて手にした本です。
読めば何かわかるのか、読んでも結局わからないのか、「そんなこと言う前に、1ページでも読み進めればよいのに」と自分にツッコミを入れながら、本棚に鎮座してあります。

今年も終わりになりますが、他にもたくさんある「読み切れなかった本たち」のことを考えつつ、新しい本との出会いを求めて、初詣の後に本屋さんに立ち寄ることを楽しみにしています。
来年の春には、私が書いたものが本になって出版される予定なので、ちょっとドキドキです。最終校正ゲラは、年末に出版社に送ったので、ホッとしていますが、自分の書いたものが、人に読まれるということがどんな感じになるのか、楽しみでもあり、不安でもあります。
読むことと書くことは、私にとって大切なセルフケアです。これからも、細々と続けながら、発信もしていきたいと思っています。

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