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ありのままに描くなんて、ボクにはできない

古代人たちが描いた壁画には、ウシやイノシシなど本物そっくりの動物たちが生き生きと描かかれていますが、ヒトのような身体に尻尾やくちばしのある絵もあるそうです。それらは「獣人」と呼ばれ、自然界には存在せず、想像上の生き物で、なぜ描かれたのかよくわかっていないとのこと。最近インドネシアの洞窟で4万4,000年前に描かれた壁画が発見されたニュース記事を読みました。

インドネシアの洞窟で発見された岩絵が、4万4000年前に描かれたことが明らかになった。豪グリフィス大学の考古学チームが、学術誌 ネイチャー に発表した。
https://www.bbc.com/japanese/50768096

このニュースを見て、私は「やられた!」と感じました。「獣人」を描く目的には、宗教や物語など、諸説あるようですが、私はこの絵には「《遊び》がある」と感じました。勝手な想像ですが、最初ありのままに狩りの様子を真剣に描いていたのだけれども、だんだんのめり込むにつれて《遊び》が芽生えて、ヒトに尻尾やくちばしをつけちゃった…なんかそんなことを妄想してしまうのです。「ユーモア」や「悪ふざけ」と言うと、誰かを意識しているけれど、私はこの絵からは他人からの評価じゃなくて、なんとなく心の奥底から湧き上がってきた《遊び》を読み取りました。だから、とても自然で、野心や政治やメッセージがなく、ピュアというか、プリミティブな感性に「やられた!」と感じてしまったのです。
4万4,000年もの前の人びとに《遊び》なんていう心のはたらきがあったのかどうかはわかりません。でも、人がなにか行動を起こすとき、真剣さの中に《遊び》が産まれる、その心の動きは、とても人間らしいなと思うのです。

今年一年を振り返って、私の行動や仕事にはたして《遊び》はあったのだろうか?逆にいえば、《遊び》が産まれるほど、真剣にものごとに向き合っていたのだろうか?
子どもたちや若者たち、その家族とかかわる日常の中で、かれらにのしかかる巨大な力や息苦しい世の中の空気感の中で、その重さの中でも湧き上がる《遊び》の力を、まだまだ忘れてはならないし、私は私の人間性として《遊び》の力を信じていきたいと思います。

来年のテーマは「真剣さの中に、《遊び》を産む」とかになるかな。だいたい、こんな文章の中に、ちっとも《遊び》が組み込めてないのだから、まだまだ古代人にはかないませんね。かたい、かたい。もっともっと自由にならなきゃ。

それでは、また来年もよろしくお願いします。

見えないものを見通した時
人間は真に人間になるだろう
見えるものしか見ないなら
いつまでも悲惨だろう
(佐相憲一)

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