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【Venus of TOKYO】オルペウス教を軸にしたVoTの物語世界に関する考察(妄想)【アーカイブ】

※ふせったーに投稿した過去記事を、アーカイブとしてnoteに投稿しています。
※もう終演した公演ですが、一応ネタバレがありますのでご注意ください。

以前「各登場人物のイニシャルと名前考察」( https://note.com/niravotnira/n/n31946f650473?sub_rt=share_b )を書いたときに、シェフの名前は「オルペウス」(ρφεύς - Orpheus、オルフェウス※)で、あらゆる存在の感情を揺さぶったオルペウスの音楽を料理にずらして、「その料理で人の感情を左右するほどの腕前」を持つシェフを造形したのではないか、と考察(妄想)した。

その際に、こう書いた。

シェフのキッチンにも、様々な動物が所狭しと並ぶ。多くの下半身が人間なのはなぜなのか、これはまだわかっていない。舞踏会と少女の食事の際に現れる、上半身が動物の者たちも謎。ただ、オルペウスが始祖とされる密儀宗教「オルペウス教」にヒントがあるような気がしている。これについては長くなるのでまた機会があれば書きたい。

その後オルペウス教について調べながら、このことはこの物語全体を貫く柱の一つなのではないか、些細な点だと思っていたけれども実はめちゃくちゃ重要なのではないか、と思うに至った。
また、オルペウス教を物語の下地として導入することでいくつかの疑問点のピースがはまる感覚もあった。

機会があればどころの話ではなく、是非書いておかねばと思い筆を執った。

(だいぶ長くなりましたが、最後にまとめもあります…。)


※古代ギリシア語の翻字については、Wikipediaの公式ガイドライン(←アポロドーロス著・高津春繁訳 『ギリシア神話』(岩波文庫)巻末の「固有名詞索引・3 転写法」に準拠)に拠り、「オルフェウス」は「オルペウス」で統一している。

●謎多きシーン

まずはじめに、自分の中でずっと???が浮かんでいるシーンのことから始めたい。
それは、舞踏会後の富豪と少女の食事のシーン。

長テーブルに着席した富豪にシェフの作った肉料理がふるまわれる
→富豪は肉を切り一口食してから護衛を呼び、対面に座る奴隷の少女に残りを持っていかせる
→少女が食べようと食器を持つと、それに気付いた贋作家が慌ててそれを止める
→贋作家は激怒した様子で富豪に向かって殴り掛かる(護衛の返り討ちに遭う)

というシーン。


【追記】
上記は自分が流れを勘違いしていて、
肉料理のオーダーは少女のために贋作家がしたもので、それを富豪が護衛に命じて横取りしたのだと教えていただきました。
そうなるとこの部分の考察は根本的にズレてきてしまうのですが、まあそれもそれで良きかなということでそのままにしておきます。
【追記ここまで】


自分の中での疑問点は、大きく2つ。

1. 贋作家はなぜそこまで激怒したのか。単に富豪が少女へ残り物をよこしたからか、とも思っていたが、それだけであそこまで逆上するだろうか。

2. このシーンの直前から急に現れる、上半身動物の人間たち(動物の被り物をしたVOIDスタッフ)は一体何なのか。これに付随して、キッチンに所狭しと並ぶ同じような半人半獣のモチーフたちは何なのか。

これらの疑問を解く鍵が、シェフ(=オルペウス)およびオルペウス教にあると思うのです。

●オルペウス教とは

そもそもオルペウス教とは何か。少し長くなるがまとめておく。

オルペウス教は、オルペウスを伝説上の創始者とする古代ギリシアの密儀宗教で、紀元前7-5世紀ごろ、特に南イタリアのギリシア植民都市、シチリア島にかけて広く信仰された。

オルペウス教の最大の特色は、【輪廻転生】の教説にある。
人間の【肉体は汚れた牢獄】であり、それに対して【魂は不死で、神性を持つ本質的な部分】であるとみなす考え方。

たぶん仏教にかなり近いような考え方で今でこそ新鮮さはないが、魂は肉体を離れたあと死者の国で永遠にさまようものとされた当時のギリシアでは革新的、どころか特異な教義だった。

この当時の異端ともいえる教義の基礎になるのは、実は【ディオニューソス(葡萄酒と酩酊の神!)】の神話の中のエピソードである。これも非常に重要なのでまとめておく。

神々の王ゼウスが、蛇に化けてペルセポネーに近づき、交わってザグレウスをもうけた。
ザグレウス少年は大蛇の姿でゼウスに伴い、ゼウスは全宇宙を継ぐべき存在として彼を寵愛した。
しかしこれに嫉妬したゼウスの正妻ヘーラーは、ティーターン族(巨人の神々)を送り込み、少年を惨殺するよう仕向けた。
ザグレウス少年は抵抗するも八つ裂きにされ、茹でられたのち焼かれて、ティーターンに喰われてしまった。
ただ【心臓のみはアテーナーによって救い出され】、父ゼウスの元へ届けられる。
ゼウスはその心臓を呑み込んでセメレーと交わり、ディオニューソスをもうけた。

つまりこのディオニューソスの心臓は本来ザグレウスのものであり、彼の誕生はザグレウスの再誕を意味した(ザグレウスを介さず、ディオニューソスが一度死んで復活した、とされる場合もある)。

一方ザグレウス少年を惨殺したティーターン族を父ゼウスは憎み、雷によって彼らを打ち、灰にした。その灰から、現在の人類が誕生した。
この灰にはティーターンの肉とザグレウス少年の肉(喰らったため)が混ざり合っていたことになる。

そういうわけで、ディオニューソス=ザグレウス少年的要素を引く魂は神性を持ち【不滅】であるのに対し、ティーターン的要素を引く肉体は汚れた牢獄として魂を輪廻の輪の中に閉じ込めている、というのが、オルペウス教教義の基礎になる考え方となった。

そしてこの輪から「解脱」するためには、禁欲的な戒律を守り身を清める必要があるとされた。
その戒律の筆頭が、殺生の禁止、そして【肉食の禁止】である。

……オルペウス教の概要は大体以上の通り。
引っかかるキーワードがいくつも出てきたところで、VoTに戻りたい。

●肉体の牢獄と不滅の魂~未来から来た女とショパン、医師とベートーヴェン

上に書いたようなオルペウス教周辺の情報を知り「これ、VoTの物語そのものじゃん…!」と思った。
魂の輪廻、輪廻転生そのものが、VoTの物語の土台になっているから。

未来から来た女、監視者のループ。
薄まれど保たれる記憶。
あの日のVOIDで突き動かされる、失っていたはずの感情。
そもそも常設型イマーシブシアターの毎公演ごとに、あの日のVOIDが輪廻、ループしているとも言える。

現在の時間軸で未来から来た女を眺めた時、彼女の肉体は、腕が動かなくなる不治の病に侵されながら、冷凍室で冷たく眠り続けている(汚れ、牢獄)。
一方で彼女の魂は軽やかに過去へ舞い戻り(不死、不滅)、冷凍室内の肉体には不可能な自由さで歩き、感じ、そしてピアノを弾く。
未来から来た女(=医師や写真家の言葉を借りれば「永遠の女」、盗賊の言葉を借りれば「不死者」)が記憶を取り戻し鑑定士と再び出会う時、オルペウス教的に言えばその魂は清められ輪廻からの解脱に至った、ということになるだろうか。
鑑定士がクロノスだとしたら(後述)、「クロノスの知恵」がある種その手助けをしたとも言える。


また、楽聖ショパンについて。

上にも書いたディオニューソスの神話で、「ティーターンに喰われたザグレウス少年の心臓のみはアテーナーによって救い出され、父ゼウスの元へ届けられた」というくだりを知ったときは思わずトリ肌が立った。
「革命」譜面探しの謎解きで重要な手掛かりとなる「ショパンの心臓」のエピソードそのままじゃないかと。

ショパンの遺体は死没地パリに埋葬されたが、心臓だけが、故郷ポーランドに持ち帰られ、瓶の中で謎の液体(コニャック、と推測されている)漬けになって眠っている。
どうしてショパンの中でもこのエピソードを?と思うほど、そのことがVOID内でも非常に強調されている。
しかしそれはオルペウス教を下敷きにすると必然なのかもしれないと。

ディオニューソスの神話でいうところのザグレウスの心臓=ディオニューソス的神性・不滅性が、ショパンにおいては祖国に帰った心臓
ティーターン的肉体の牢獄はパリで眠る遺体
未来から来た女と同じように病に侵され、39歳という若さでその肉体が動きを止めてしまった天才/楽聖の魂は、今もどこかで生まれ変わっているのだろうか。

ショパンの心臓を模した(?)瓶と未来から来た女の肉体が冷凍室内で向かい合わせに対置されているのは、何とも象徴的だと思う。


そして、もう一人の重要人物・医師。
彼が冷凍室に置き、愛でている(のであろう)ショパンの心臓の上に置かれているメモから察するに、医師は未来から来た女が眠り始めてからその存在に吸い寄せられていったように思える。
つまり魂が肉体の牢獄から抜け出したように思われる状態、「永遠の女」になってから。その不滅の魂に対して。

その意味では、「わが不滅の恋人」のことを愛したベートーヴェンと医師はパラレルな存在だと言える。

そう考えると、このベートーヴェン(不滅を愛する)とショパン(自身が不滅となる)を見事に並置した譜面の謎解きはメタ的に見てもめちゃくちゃに完成度が高い、血が滾る案件だ。
謎解きにさえここまで意味を込めているとしたらもう「Bravo!」としか言いようがない。


未来から来た女 ↔︎ ショパン 【肉体は滅び、魂のみが「故郷」へ帰る】

医師 
↔︎ ベートーヴェン 【「不滅の魂」をこそ愛する】


未来から来た女と同じように魂=心臓が肉体の牢獄から抜け出して永遠となったショパンのことを偏愛する医師が、
電話口で輪廻転生の思想を冗談交じりに語れてしまう医師アスクレーピオスが、
秘教オルペウス教の魅力に憑りつかれている、なんてのは飛躍しすぎ、でもないだろう。

なにせオルペウス教の始祖オルペウスとアスクレーピオスとは、イアーソーン(登場人物名前考察の写真家参照)率いるあのアルゴナウタイの冒険で、船上で4ヶ月も寝食を共にしていたのだ……。

●シェフの箱

ここまで書いた段階で、シェフの箱の中身を前半のみ見ることができた。

最後まで読めていないし咀嚼しきれていないので中身のことはここには詳しく書かないが、あの植物の名称を知ったとき心の中の自分が大絶叫したことはいうまでもない。おそらく同音の学者の名前と掛けているであろうことも、そういう世界と世界を縦横無尽に結びつけてくれるのが好き。

●シェフの肉料理

さて、オルペウス教がディオニューソスの神話を基礎として定義した肉体(=牢獄)と魂(=不滅)の二元論が、輪廻転生の力でVoTの物語内をくるくると廻っている、
あるいは物語を太い柱で刺し貫き<未来から来た女=ショパン>と<医師=ベートーヴェン>の綺麗な対比を成している、
そのさま(という名の妄想)を見てきた。

このあたりから、冒頭に挙げた1つ目の謎、なぜ贋作家は富豪から肉料理をよこされたことにあれほど激怒したのか、という謎が解けそうな気がする。

問題はあれが「肉」料理であるという点。

先にも書いた通り、肉食は殺生の象徴であり、オルペウス教の戒律では厳しく禁じられていた。かつ肉体=汚れたもの、という感覚もこれには多分に影響している。

そんな肉料理を提供すること自体、オルペウス(シェフ)的にはめちゃくちゃタブーな所業なのではないか。
シェフの公式人物紹介の一部を、今一度振り返る。

「その料理で人の感情を左右するほどの腕前だが、違法な食材も使用している。」

この「違法な食材」って、もちろん直接には例の植物のことを指しているのだろうけれど、オルペウス教の戒律=「法」的にタブー、という意味も暗に含んでいたりしないだろうか。つまり、肉である。

シェフをずっと追っていると、肉を焼いている時の目も、ワインをつくっている時に負けず劣らず暗いものを湛えていることがわかる。
注文があったにせよ、どこかにタブーという感覚がありながら、富豪に提供したのではないか。
まるでこの食物こそ富豪のような人間にふさわしい、あのワインと一緒に食すにふさわしい、と言わんばかりに。

そしてこれも推測になるが、贋作家(自分の推測ではダイダロス)も、オルペウス教の教義と同じような考え方を共有していた※。
だからこそ、富豪に提供された肉料理が少女に回ってきたときに、「食べ残しをよこしやがって、しかもこんな汚れた物を!」と激しく抗議したのではないか。
孤児院から一人立ちして人から物を恵んでもらうことに贋作家が人一倍敏感だったとしたら、それも「食べ残し」「汚れたもの」と二重に影響していると思われる。


もちろん舞台は古代ギリシアではなく現代で、オルペウス教がどうとか「肉料理がタブー」とかいうのは時代にそぐわない、という素朴な疑問はあるだろう。
あくまでギリシア神話に対応させた概念的な話なので(それを言ってしまえば日本の東京・VOIDの登場人物の名前がギリシア神話から取られているのもおかしいということになる)、実際に何なのか、は何でも良い。
例えばちょっとダークな妄想すぎるけれど、人肉、とか。

いずれにせよ、DexeeDinerでコラボメニューを食すときは、「肉体という名の牢獄」に思いを馳せてみるのも良いかもしれない。


※ダイダロス(贋作家)とオルペウス教の関係

登場人物名前考察、ダイダロスのところで、彼の物語には糸のモチーフが複数回登場し、贋作家の赤い糸(紐)がそれと対応しているのではないか、と書いた。

そのうちの一つ、ダイダロスが「糸を引きずりながら(糸玉を手繰りながら)歩く」という迷宮からの脱出方法を助言した相手がクレータ王女アリアドネ―。
彼女こそ、後に他ならぬディオニューソスの妃となる人物である(クレータ脱出後の動向については諸説あり)。

さらに、ディオニューソスとアリアドネ―との間に生まれた子の一人が、オイノピオーン。
登場人物名前考察で、シェフのもう一人のモデルではないかと推測した人物。
【父ディオニューソスからぶどうの栽培方法を教わり】巨人オーリーオーンに【強いワインを飲ませて眠らせ、退治した】人物。

ダイダロスの助言が、2人を出会わせ、オイノピオーンを生むこととなった。
直接的にではないが、かつての「ザグレウスの心臓」をシェフに引き継がせることになった(かもしれない)ダイダロスもまた、オルペウス教の輪の内側にいる一人なのではないだろうか。

●上半身動物のスタッフたちとサテュロス

もう一つの謎、上半身動物の人間たちのモチーフについて。

結論から言うと、これらはディオニューソスの信奉者にして半人半獣の山野の精「サテュロス」に相当する存在ではないかと考えている。

オルペウス教における主神ディオニューソス。
ディオニューソスに対する信仰、崇拝というのはそもそもオルペウス教とは無関係に存在した。
「ディオニューソス崇拝」「ディオニューソス教」などと言われ、これが後にオルペウス教と結びついて、ヘレニズム時代に流行する密儀宗教となり、初期キリスト教にも大きな影響を与えることになる。

神話では、成長しぶどう栽培とワインの製法を習得したディオニューソスは、自らの神性を認めさせ信者を獲得するために、各地へ遍歴の旅に出たという。

彼は各地に自らの象徴であるぶどうの栽培を広め、同時に夜の山野での激しい乱舞による集団的興奮のうちに忘我的陶酔の境地に入る祭儀(オルギー)を行った。
信者たちはこれを通じて、【不死の神性】を獲得することができると信じた。

さらにディオニューソスは、自分の神性を認めない人々を狂わせたり、動物に変えたりする力をも示したと言われる。


ディオニューソスのこのワイン飲み放題付き泥酔旅行には、半人半獣のサテュロスたち、および踊り狂う狂信的な信女(マイナス)の群れが付き従っていた。
中でも半人半獣の「サテュロス」が、シェフの命に従って肉料理を提供し少女と踊る上半身動物の人間たちの存在にとても近いように思う。

サテュロスは様々な姿で描かれるが、共通しているのは【上半身が人間、下半身が動物】であること。下半身は山羊の姿が最も一般的で、角や耳がある場合もある。陽気で好色、とにかく快楽を好む。
また、ディオニューソスの崇拝者であることからワイングラスを手にもって描かれることもしばしばで、ワイングラスの装飾としても用いられることがあるという。

半人半獣で、陽気に騒ぎ、ディオニューソス(≒シェフ)を崇拝し付き従う。
上半身と下半身が逆で、鳥の姿は一般的ではない、という違いはあるものの、そこはあえてひねってある(あるいは演出上の都合、下半身動物は難しいので)と考えれば、あの異形のVOIDスタッフたちの姿や、立ち居振る舞い、ダンスと重ならないだろうか。


彼らがあの場面でのみ出てくる理由は、

・舞踏会、そして食事、というある種集団的興奮/祝祭的な盛り上がりを見せる場面だから

・「ワイン」が提供されるから

・シェフ(≒ディオニューソス)が、彼らに料理の提供という仕事を命じたから(普段から僕あるいは部下として召し抱えている)

・ある意味で「忘我的境地」にある奴隷の少女と何らかの繋がりを持ち得たから(だから少女と一緒にダンスを踊る)

などが考えられる。


そうした意味では、後半の富豪部屋豪遊のシーンにも彼らが登場しておかしくないような気もする。
演出上被り物が難しいだけで、あそこで酒を飲みまくるスタッフたちは引き続きサテュロス的存在のままなのでは。

●キッチンに並ぶ、半人半獣のモチーフたち

これも同じく、ディオニューソス(≒シェフ)に付き従う信者サテュロス的存在の暗示と考えることもできるし、
前の考察で書いたようにおおもとのシェフのモデル(と考えている)オルペウスに戻って、オルペウスの演奏に聞き入る動物たちのモチーフととらえることもできる。

ただ、それにしては陽気にはしゃいでいるわけでも恍惚の表情を浮かべているわけでもなく(コンロ上の豚ちゃんの置物だけはちょっと楽しそう)、何となく違和感が残る気もする。
もうちょっと表情が強張っているような、無表情なような……

ということでよりダークな妄想として、先述したディオニューソスに関する一節を思い出したい。

「さらにディオニューソスは、自分の神性を認めない人々を狂わせたり、【動物に変えたり】する力をも示したと言われる。」

ディオニューソスの神性を認めず、動物に変えられてしまった人間たちの、あれはモチーフなのではないだろうか。。。
よりシェフとその親に引き付けて言うならば、例えばあの植物の栽培と使用に関して、異を唱えた人々を…………とこれ以上はやめておこう。。。

どうしてもあのシェフの演技を見せられるとそういう方向に妄想が膨らんでしまう。

●オルペウス教の「宇宙卵」とクロノス(時間の神)と鑑定士

最後に、オルペウス教の宇宙創成論について触れておきたい。
魂/肉体の話やシェフのこととは関係がないため文章の構成上最後になってしまったが、これもオルペウス教をVoTの物語の基礎として考える上では極めて重要なポイントだと思う。

※なお、この部分の記述は主に以下の文献に拠っている。
 レナル・ソレル著 ; 脇本由佳訳『オルフェウス教』(白水社、2003)第2章


登場人物名前考察で、鑑定士【K】だけモデルが全然わからない、強いて言えば「未来から来た女」の関係から時間の神クロノス(Χρόνος - Khronos)が近いか……、と書いた。

あまりトーンが上がらなかったのは、時間の神クロノスというのはヘーシオドスの『神統記』などの通常のギリシア神話にはほぼ登場しないマイナーな神だから。
通常のギリシア神話では、「時」は「偶然に現れる」(『オルフェウス教』p.45)のである。
ギリシア神話のメインストリームでほぼ登場しないマイナーな神をわざわざ鑑定士の名前に当てるだろうか……と思ったので、しっくり来ていなかった。

しかし、ヴィーナスオークションの新規出品が発表されたことで、様相は一変した。

「クロノスの知恵」。

やはり鑑定士はクロノスなのか……!?そうでなくてもVoTでクロノスは重要なポジションなんだな……!?とクロノスについて改めて調べ始めた。
すると、何度目だというほどまたしても衝撃の事実。

時間神クロノスは、他ならぬオルペウス教神話(に関する文献)に特有の、原初の神だったのだ。

オルペウス教神話における宇宙創成論はギリシア神話の中で独特で、ごく単純化して書くと、まずクロノス(時)があり、クロノスは1個の卵「宇宙卵 Cosmic egg」を産み出した。そこから世界が広がっていった(卵生神話)、というもの。

クロノスは、【原初の「産み出す力」】として非常に重要な役割を与えられている。

考えてみれば、VoTの物語のすべてのはじまりは鑑定士だった、とも言える。
彼のあの一言によって妻は病み、医師が装置をつくり、シェフが植物を提供し、富豪が出資し、贋作家が召喚された。
「時」が動き出し、過去と未来が交錯しはじめた。

そんな鑑定士の名前として、やはり「クロノス」はふさわしいものなのかもしれない。
そしてその説を採るならば、ギリシア神話のメインストリームではなく、異端の密儀宗教オルペウス教を下地として考えないわけにはいかないのではないか。

●まとめ

大変長くなったのでまとめる。
以下、VoTとのかかわりはすべて妄想。

・シェフ=オルペウスが始めたオルペウス教では、葡萄酒と酩酊の神ディオニューソスの神話に基づき、神性を持ち不滅であるはずの魂が、汚れた肉体の牢獄の中に繰り返し囚われ続ける、すなわち「輪廻転生」の思想を基礎として持つ。

・オルペウス教を経由することによって、シェフをイニシャルの異なる葡萄酒の神ディオニューソスに接続させることができる、ということがまず重要。シェフはオルペウスとディオニューソス両者の側面を併せ持つ存在と言える。

・そしてオルペウス教におけるこの魂と肉体の対比は、
神話で言えば「父ゼウスの元へ帰って来てディオニューソスとして再誕したザグレウス少年の心臓=魂と、ティーターンに喰われ渾然一体となって灰にされたザグレウス少年の肉体」、
未来から来た女で言えば「未来から故郷(鑑定士の元)へ帰って来た魂と、病に侵され冷凍室で眠る身体」、
ショパンで言えば「故郷へ帰って来た心臓と、病に侵されパリで眠る身体」、
にそれぞれ対応している。

・これを踏まえると、冷凍室において、「未来から来た女の身体」と「ショパンの心臓」が向かい合わせで置かれているのはとても綺麗な構図。

・一方、魂が肉体から抜け出してある種「不滅」の存在となった未来から来た女とショパン、その両方を偏愛するのが医師。上の冷凍室の配置も、医師によるものだろう。彼は輪廻転生を半ば信じている様子でもあり、オルペウス教の輪の中にいる。

・もう一人、「不滅」の存在を愛したのがベートーヴェンであり、不滅の恋人を考察させる謎解きはまさにそれを暗示している。

・未来から来た女と医師、に対応するショパンとベートーヴェンを、関係するエピソードとともに謎解きに持ってきて並置したのはあまりにBravo。

・オルペウス教では、先述した教義から肉食を厳しく禁じている。シェフはこれを知りながら富豪に肉料理を提供し、贋作家はその食べ残しを少女によこしたからこそ激怒したのではないか。

・同じシーンに登場する半人半獣のVOIDスタッフは、ディオニューソスの熱狂的信奉者サテュロスがモデルではないか。シェフはオルペウス教の始祖オルペウス的側面と神ディオニューソス的側面を両方持ち合わせているのではないか。

・キッチン内の半人半獣のモチーフたちは、同じくサテュロスか、あるいはディオニューソスによって動物に変えられてしまった人間たちなのではないか…。

・オルペウス教特有の原初の存在、時の神「クロノス」こそ、VoTのすべての物語のはじまりとなった鑑定士のモデルなのでは。



ここまで読んでくださった方がもしいるならば、誠にありがとうございました。。
違う考察、疑問点、ご意見感想などもしあればいただけると大変嬉しいです!

とりあえず、シェフのあれをフルでゆっくりと読んでから、シェフや医師をまた追ってみたいな。

(2022年2月22日投稿 元記事@ふせったー

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