何かについて記事を書くとはどういうことか?

例えば、美味しい目玉焼きについて記事を書く。それは、料理のレシピやノウハウの記事かもしれない。あるいは、美味しい目玉焼きを食べた食レポ記事かもしれない。あるいは、ただ単に目玉焼きを何かの例えとして引き合いに出しただけで、本当は目玉焼きなんぞには興味がないのかもしれない。

そもそも、そうした「記事」が、「レシピ」だとか「食レポ」とかどうして分類できるのだろう。目玉焼きの作り方が詳細に描かれていた場合は、レシピと言えるかもしれない。あるいは、目玉焼きを食べた時の味や食感が詳しく描かれていた場合は、食レポと言えるかもしれない。しかし、小説とも言えるかもしれない。小説の描写として味が詳しく描かれていた場合、それはレシピなのか小説なのか。どちらでもあるのか……よくわからない。


「タイトルは、何について書いたかよくわかるように設定しましょう」とnoteの書き方記事に書いてあった。それは、タイトルを見た人のためだけではなく、そのタイトルを書く人自身のためのアドバイスであるように思える。

自分でも何を書いたかわからないと、タイトルをつけることは難しい。わかりやすいタイトルをつけることができるかどうかは、自分が何を考えているか理解しているかどうかを判断する基準になる。別に、そんなこと判断しなくてもいいやと思っている人もいるかもしれない。しかし、それが判断できるといいことがありそうである。

自分が何を考えているのかを理解する、とはどういうことか。たとえば、自分が美味しい目玉焼きについて考えていることをよくわかっていると、いいことがある。考えを深めることができる。この「深める」ということさえ、テーマの「深さ」、考えの「深さ」に関わっていて、今はまだ何もわからないが、一応いいことの一つとして取り上げておく。目玉焼きについて考えているとわかっていると、考えているうちに目玉焼きではない別のテーマについて考えていることに気づくかもしれない。初めは、目玉焼きについて考えていたが、いつの間にか卵や油、フライパンについて考えてしまっている場合がある。そうしたときに、考える興味が変わったことに気がつくことは、良さそうだ。

この考える興味が変わったことを、とりあえずは「深まる」とか「広がる」といっても良さそうである。

イメージとしては、目玉焼きから「卵」や「フライパン」に移るのは「深まる」。目玉焼きから、「唐揚げ」「ハンバーグ」「宇宙人」に移るのは「広がる」。と言える。テーマが細かく、狭くなっていくと深まりを感じ、別の話題に飛躍すると広がりを感じる。しかし、目玉焼きから「オムライス」にいくのは深まっているのか、広がっているのか?

よくわからない。

つまりは、いつも通り、「何かについて記事を書くとはどういうことか?」という問題も、よくわからないということになる。今のところは。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!