弱さと強さ

昨日、昔自分がノートに書いていた文章を読み返していた。眠りたいのに、眠れなかった。頭を使わずに、心を落ち着かせる方法はないか、と考えて自分が書いた文章を読むことにしたのだった。

自分が書いたのだから、気持ちもよくわかる。何を考えていたのかよくわかる。そう、甘く見ていたのかもしれない。

普段は文章を全く読み返さない。自分の書いたものにはあまり価値がないと思っているからだ。けれど、昨日布団の中で、三年ぐらい前の自分が考えながら書いていた言葉を読んでいると、いい意味で裏切られる気分になった。

その頃の自分は、自分の考えを本気で形にしようと思っていたようだ。一冊の手書きのノートを読んでいたのだが、今のように断片的なエッセイを書き続けるのではなく、昨日考えたことを引き継いで今日の文章を書いていた。

言葉は緊張していて、難しい考えの上を慎重に慎重に進んでいるかのようだった。言い回しや、言葉遣いにいちいち気を付けていて、読んでいるだけで息が詰まるような感じがした。今、こんな書き方をしようとしても、出来ない。

今のわたしの文章の書き方は、何かを形作ろうとする強い何かを持っていない。それこそ、「弱い」文章といえる。主張するのではなく、ただ考える。迷う。曖昧でもいいから書く。「書く」ということを、どうしたら最小限の力で遂行できるか。それを追求しているともいえる。しょうもないことを書きたい。

どうして、あの頃の自分は、強い文章を書いていたのだろう。そして、それを誰にも読まれない場所に書いたのだろう。おそらく、書いたわたしは、読まれることを恐れていたのだと思う。書いたものを見せて、他人に反応されるのが怖かった。褒められるとは、どうしても思えない。逆に、けなされるかもしれない。そうされた時に、強い言葉と形作られた思考はしなやかさを持たない。折れてしまう。

わたしは、心の中で考えた様々なことを、強い言葉で打ち立てようとした。でも、それはわたしの心の外にではなく、わたしの心の中でだけの出来事だ。そのノートは誰にも読まれていないし、これから読ませるつもりもない。

とても強い言葉だった。抽象的で、哲学や文学など、言葉の一番極まったところから取ってきたような言葉が連なっていた。同時に、自分の言葉ではないような気がして、ぎこちなかった。「思想」を語っている文章よりも、その中に垣間見える、どうでもいい日記のような文章の方が、今のわたしは好きだと思う。

あの頃、ノートの書いていた時の体の感覚を思い出すと、体温が下がる感じがある。体が引き締まって、呼吸が浅くなる感じがある。そしてその冷たい体温に触れる僅かな温かいものに、鮮明に感動していた気がする。

今と比べて「わたし」について書くことは少なかった。抽象的なテーマで、「よく生きるとは何か」とか、それこそ「弱さ」についても考えていた。しかし、あの頃の自分が、弱さについてどう考えていたのか、ここに文章に表して再現することはできそうにない。

今では、なんとなく、「弱い」という言葉がわたしに投げかけてくる感覚をつらつらと言葉にすることしかできない。

あのノートを書いていた頃の自分なら、固く組み上がった何かを持って、考えるべきことに挑んでいった気がする。強いと同時に、自分に自信がないことを知っていた。このノートを誰にも読ませることができないと知っていた。それでも、何冊もノートを書き続けた。その歩みは慎重で、抜け目がなかった。


noteに読まれる文章を書き始めて、あと3ヶ月ほどで一年になる。人に読まれることで、自分の文章はどう変わっただろう。

人の目線を前提とした、軽やかな余裕が出てきたと思う。思ったことを全て表現できなくてもいい。今日、この瞬間に完成しなくてもいい。

人に読まれるのだから、前にも増して完成度が高いものが求められるのかと勘違いしていた。実際は、そうではなく人の目を前提としてわたしは動いて、そして文章も人の目を前提として形を変えた。質が上がったというより、質が変わった。書き方も、言葉も自然に変わった。


あの頃ノートの書いていた言葉は、誰に向けて書かれていたのだろう。おそらくそれは、わたし自身のためだけに書かれていたのだと思う。誰かの目線を受け入れられない。わたしだけが、わたしの書いた文章に入り込んでいく方法を知っている。かつてのわたしの言葉は容赦なく、わたし自身だけを目指して向かってくる。他人の目を気にせずに、書き続けるとはそういうことだ。誰かの目線を前提としない。だから、その文章を読むためには、わたし自身がわたしの読み方だけで完成させなければならない。

いつまでたっても、むしろ、今になっても、自分が書いた文章の一番の読者は自分自身なのかなと思う。

強さと弱さについて考える時、わたしが思い浮かべたのは、過去の自分と今の自分の文章の違いだった。

今度電車に乗る時は、文庫本の代わりに昔の自分が書いたノートを読もうと思う。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!