自分の言葉で言い直す

難しい概念がある。あるいは、難しい言葉。

例えばなんでもいいが「ダウンロード」という言葉を、わたしはちゃんと自分の言葉に言い換えることができるだろうか。

「ダウンロードって何?」とそれを全く知らない人に聞かれた時のことを想定して、言葉を選ぶ。それも、「全く知らない人」がどのぐらい全く知らないのかを把握しないといけない。

パソコンに全く触れたことがない人か、それとも、スマホなら持っているだろうと考えて説明するか。あるいはもっと専門的にダウンロードとは何かと説明するか。

わたしには専門的に説明することはできなさそうなので、とりあえず「機械がインターネットにつながっていなくても、使える情報を入れておくこと」をダウンロードの説明としておこう。

その言葉で、「ダウンロード」がわかった気になる人はどんな人だろう?

まずは、「インターネットにつながっていなくても」と言っている。機械がインターネットにつながっているということを知っていれば、「インターネットにつながっている状態」と「そうでない状態」があると説明できる。

「使える情報を入れておくこと」のところは、わかりにくい。今では「音楽」や「本」という名称で、情報の内容をそのまま読んでいる。だから、「音楽」や「本」が元は情報であるということがわかりにくい。それらが、実は情報であるということを知っている人なら、理解できるだろう。

その反省を踏まえて、もっとわかりやすく「ダウンロード」を説明してみる。

「インターネットという、情報がたくさん集まっている場所から、機械で本や音楽のようなものを手元で使えるように取ってくること」

だろうか。

意味は曖昧だが、ダウンロードすると手元で本や音楽を楽しむことができる、ということに重きを置いてみた。今の私たちには、そうしたダウンロードの使い方が主流になっていると考えたからだ。

この説明では、「インターネットから取ってくる」という比喩を使って、直感的な表現をすることになる。これは実際には正しくない。「インターネット」という場所がこの世に本当に存在するものではない気がする。なんとなく、情報がたくさんある場所という感じだが、実際はそれを構築する機械が働いているのだろう。そこら辺はよくわからない。あとは、「取ってくる」という表現もそうだ。「ダウンロード」という言葉は「落とす」と簡単に表現されることがある。大きな情報が小さな流れに沿って落ちてくるイメージである。それゆえ「ダウン」とつくのではないだろうか。それを無視して、便利さや能動的な感じを表現したくて「取ってくる」という言葉を使った。


そうした曖昧さや、不正確さを抜きにして「ダウンロード」とは、と説明してみることもできるだろう。とはいえ、説明を求める側はともかく、わたしがそれ以上の理解をしていない。

大体、わたしが「ダウンロード」というときは、先にあげた説明のような意味で使っていると言えるだろう。

気をつけなくてはならないのは、「ダウンロード」という言葉を「本」や「音楽」以外にも使う場面である。アプリをダウンロードしたり、機械をインターネットに繋げていない状態でも使えるように何かをダウンロードしておくと言った場合である。そうした状況を、先の説明ではカバーできていない。

文字数を使って、さらに詳しく説明してもいいが、実際の会話や説明では言葉を増やしてもあまり有効ではない時もある。文字数が多いだけで、読む気がなくなる文章もある。(わたしの文章のことかもしれない)


というわけで、何かを説明するならば説明を受ける人が何を求めているかを、説明しながら確かめていくのがいい。つまり、問いかけたり質問を受けながら説明していくのである。

説明のしすぎでよくわからなくなったり、説明が足りなくて知りたい範囲をカバーできない問題は、相手が何を必要としているかを理解すれば避けることができる。


じゃあ、文章だったらどうすればいいか。これは色々なところで言われているが、読者を想定して書くことである。色々ところで言われているが、わたしの言葉で言い換えてみる。


読者を想定して書く、とはいったいどういうことか?

先程の「ダウンロード」の説明の例の通りに、相手が必要としている情報を必要なだけ書くことである。

しかし、わたしはそれを自分が書けるだけのものを書くこととほとんど同義だと思っている。

読者を想定するということがめんどくさいだけかもしれないが、自分が知っていることを、知っているだけ書けば大抵ちゃんとした説明になる。それがちゃんと文章として意味が通っていれば、書いた人の考えを追うことができるはずである。

説明する、とは考えた道筋を公開するということだと言えるだろう。自分が「ダウンロード」という言葉を、どのような意味で使っているのかを明らかにする。そうした手順を踏みながら文章を進めていけばいい。自然と、ちゃんと読めばその思考を追える形に文章は出来上がっているはずである。

しかし、実践するためには、自分がどれだけのことを書くことができるのかを把握していなければならない。自分で意味のわかっていない言葉を使っていると、考えの道筋を公開することはできない。また、そもそも、文章としてのフォーマットが整っていないと読んでもらえないこともある。

ただ、自分の考えを公開していこうとする取り組みには意味がある。自分が説明に詰まるところは、理解が足りないところだとわかる。また、「これを理解したい」と思う事柄があればそれを説明しようと試みているうちに、理解が深まるだろう。

単に、読者を想定してわかっていることだけ書くよりも、自分の書けることの限界に挑んでいる方がワクワクするし、気が楽である。変に気を使わずにすむし、失敗するのが前提だと思えば、色々なことに挑戦できる。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!