書く以前に、そこにいるということ

書くためには、いなければならない。書く前には、机に座っていなければいけない。

久しぶりに、電車にのって以前はできなかった書き方ができるようになった。スマホで文章を書くことだ。今までは、人前で書くことが恥ずかしくてそれができなかった。

そうでもない人もいるみたいだ。カフェで、誰かがノートに何かを書き込んでいてもそんなに不思議な行為じゃないかもしれない。パソコンならより、仕事をしているように見える。

書くことが自然な行為に思えるまで、時間がかかった。ずっと一人で書いていた。書くことを隠していた。書いている自分が、何を書いているのか、何をどう書いていけばいいのかわからなかった。

考えたこと、体験したこと、感じた感情を記録するように書いていたこともあった。弟と喧嘩した時に、泣きながら文章を書いたことがある。小学校の友達と一緒に美術館に行った時のことを、何ページにもわたって細かく書いてある。書き始めたのは高校生になった時のことだった。突然小説が書きたくなって、小説を書き始めてからは、日記にも力を入れて書くようになった。

大学生になる頃には、自分の思想を固めるように抽象的なことを書いていた。「愛」とか「弱さ」とかなんだか自分にとって大切に思えた概念について、ずっと考えていた。そのノートを今読み返しても、意味がうまく理解できない。気に入った文学者や文体を真似して背伸びした文章を書いていた。


そうしているうちに、いつの間にか周りの人に「文章を書いている」と言えるようになった。そして、書いた文章を見せることができるようになった。やっぱりそれも何かの拍子で、突然見せることができるようになった。

「僕は実は文章を書いているんです」と自分が今まで書いてきたノートを他人に見せたことがある。その人は、そのノートをちゃんと全部読んだわけではない。また、意味を理解したわけでもない。ただ、自分が今まで文章を書いてきたのだということだけを、わかってくれたのだと思う。


何かを書くことは、書いたこと全てを伝えることだと思っていた。自分の考えや感じたこと全てを言葉に乗せて表現する。そんな偉大な力にあこがれたこともある。情熱を傾けて書きたいと思っている。けれども、その思いが強すぎて書いたことを一文字も誰かに見せることができなかった頃もある。

今は、だいたい伝わればいいやと思っている。いや、意味が伝わらなくてもここに何かが書いてあるということが分かっていればそれで良いと思う。


街に出て、文章を書いたらどうなるのだろう。例えば、駅前で弾き語りをするようにパソコンを持って文章を書いたら? 人は寄ってこないだろう。ただ、何か作業をしている人だと思われるだろう。例えば、カフェでノートを広げて万年筆で文章を書いたら? ほとんどの人は書いている私に気がつかないだろう。私だけが、周りの目線を気にして、書くことを戸惑っている。

人前で書くことができるか、できないか。ハードルは自分自身の中にある気がする。私の中のどこかに、書いている私自身を見る目がある。その目は、書いている私をどこからか見て、そこにいるのにふさわしい書き方かどうかをチェックしている。

電車の中で、小説を書くのはふさわしいだろうか。自分が作った空想の世界に入り込むのが苦手だ。駅に着いたことを知らせるアナウンスを聞き逃すかもしれない。車両を移動する人の邪魔になるかもしれない。誰かが私のスマホを横から見て、「変なことを書いている」と思うかもしれない。でも、今なら何かを書くかもしれない。電車の中でしか書くことができない物語を描くかもしれない。

ブログに毎日考え事を投稿するのはふさわしいのだろうか。誰が読むのだろうか。その誰かに、どんな影響を与えるのだろうか。今日、散歩している時にそう思った。なんでもない文章を書き続けたいな。なんの意味も持たない。感情を動かさないただの文章を書き続けたいな。ただ、続けていたい気持ちがある。

この文章は、昨日、書きかけた書き出しを、今日書き継いだものである。そういう書き方を久しぶりにした。昨日はすることが多くて、途中で文章が止まってしまった。気がつけば、過去の自分が残したものの流れを組むことが自然にできている。今まではそんな書き方はしなかった。

書く以前にそこにいる。

それに無理やりつなげるわけではないけれど、これを描こうとした昨日の私は確かにそこにいた。狭い部屋に閉じこもって、この書き出しからどこかへと行こうとした。今日の私は、その思いを忘れて、書けることを今ひたすらに書き繋いでいる。

眠いし、指が痛いし。でも、こうして文章を繋げて書いていると自分の言葉の落ち着いた響きが体に染み渡ってくる。この調子で書き続ければ大丈夫だろう、となんとなく思う。

フラットな文章だ、と言われた。その時に、褒め言葉でもなんでもないのだけれどもそれで納得することができた。平面な、海のような文章が書きたい。起伏を作り出そうとしなくていい。構造を作ろうとしなくてもいい。

潮が満ちてくるまで待つ。海は常に風が吹いていて、波がどこからかやってくる。散歩しているときに、風を受けながら、自分と同じ風を受けている海面を見つめていた。柔らかくうねる海は風に抵抗することなく、形を変える。波は、他の波と重なり合いながらただ自然なままに遠くへ進んでいく。堤防に当たっては引いて、また押してくる。

柔らかくて小さな水の分子が一つ一つ集まっているだけなのに、海になる。その水の分子に、柔らかい風が当たるだけでひとつうねりが生まれる。言葉を書くことも、そんな僅かな力があればいい。それに従って、ひとつひとつの言葉を繋げていけばそれでいい。


最近、考えることが上手く消化できなくて、寝込んでいる。考えるのが疲れてくると瞼が重くなって、すぐに昼寝をしたくなる。今日は暖かくて晴れていたから、たまたま海を見た。そうしたら、なんとなく何かが書けるような気がした。


最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!