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文章の真剣さをコントロールする

真剣に書かれた文章は真剣に読まなければならない。そんな空気を発している。

逆に、てきとうに書かれた文章はてきとうに読まれる。さらに、書き手が自分は適当だから、なんて卑下しているとさらに負のオーラを醸し出してくる。

どちらも嫌なので、その間に上手く収まりたいものだ。

私は思いついたものを、後先考えなしにダーッと書き連ねてしまうので、できた後は文章以外の勢いのようなものが文面に残ってしまう。

よくある、行間のあいたゆっくりとしたリズムの文章にはならない。

何行も段落が続いていて、読む人は手を止めて画面にかじりつかなくてはならない。それは大変だ。

聞くところによると、人間の集中力は8秒だという。

そこで、文章の真剣さをコントロールするという課題が立ち現れる。いかに、文章に対して、適度な緊張感をもって向き合ってもらうか。

短い記事を書いたことがある。しかし、それは意外とスキがつきにくい。短ければいいものではないらしい。

私の感覚だと、短い記事は読み応えを作るのが難しいのだ。スキとは、読みやすさにつくものではなく読んでみて、実際によかった、あるいは心が動いたときにするものなのだろう。

だから、読みやすくてもただ読みやすい、短いだけでは心は動かせない。

心を「動かす」のだから、文字通り文章はある程度の量があったほうがいい。そして、内容の移り変わりも必要だ。

桃太郎は要約すると、桃太郎が鬼を倒す話だが、要約では心は動かない。ディティールや、ストーリーがないと面白くない。

使えるのなら、文字の加工も有効だろう。noteには太字の機能がある。それを使えば読む人の意識を揺さぶり、なんの変哲もない文章を読むよりかは心は動くだろう。

そして、物理的にたくさんスクロールさせること。段落を分けて、ぽんぽんと行間を作る。そしたら、指を動かす量が増える。この身体の動きは心の動きと無関係ではあるまい。原稿用紙をじっと見つめて文章を読むよりも、画面をスクロールしながらパソコンで読むほうがなんとなくたのしい。

こうして、その通り書いてみたが自分の今までの文章はその逆を地でいくような書き方をしていた。たまにはこういうのもいい。たまには、全くやり方を無視した文章を書いてもいい。

とにかく、動きがあることが大切だ。

いつも同じだと、飽きる。ということも考えればたまには文章の見た目ごと変えるのも手だろう。そして、今回話題にあげた真剣さもコントロールする要素に入る。

真剣な文章は、大抵行間が詰まっていたりする。読み手の配慮よりも書き手がとにかく書くことに意識を向けているからだ。そこから、一歩引いてみることで読まれやすさは上がるだろう。

一方、真剣に読んでもらえないということについては、自信を持つことが大事なのではないか。

精神論的で申し訳ないのだが、いったん読者のことを忘れて書きたいことを書きたい言葉で書いてみるといい。そのときに、わかりやすさや言葉の難しさに気を取られずに、とにかく書き進めること。好きな文章の雰囲気を真似てみるのもいい。しっかりした文章を真似すると、しっかりした雰囲気になる。

そして、それを続けることも意外と重要である。文章の内容よりも、書き続けていること自体が、なんとなく信用につながる。この人は何か理由があって書いているのだな、と思わせられるのだ。(まあ、私は特に理由もなく書き続けているのだが。)

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!