書くことと声にすること
初めて書くnoteにしては、なんだか小難しそうなことをタイトルにしてしまった気がします。
普段から私のテーマでもある「人に何かを伝える」ということ。
ありがたいことに、私たち人間って近くの仲間に喜怒哀楽とか考えとかを伝えるための「言語」を持っていて、遠くにいても伝えられる「文字」ももっている。しかも文明もだいぶ発達していて仲間内だけなら電話もあればメールもあるし、もっとたくさんのひとに何かを伝えるための本を出版できたりテレビやラジオなんかのメディア媒体もあれば、いまはSNSを駆使すれば世界中いろんなひとをコミュニケーションがとれる時代でもある。このnoteだってそのツールのうちのひとつだったりする。
突然だけど、これって面と向かっては言いづらいけどメールとか手紙ならまだ言いやすいかなあってことありませんか?
私は多すぎるほどあります(笑)ちいさいことから大きなことまで。
会社でだって、後輩ちゃんにどうしても注意しなきゃいけないことがる。でもそこに至るまでの経緯だったり努力も知ってる、しかも最近違う件で注意したばっかり…鬱陶しいと思われたり煙たがられたりするんじゃないだろうか。とか
むかーしむかしの好きな人に、面と向かって告白なんて恥ずかしい!でもどうしても言いたい!だから「すきです。」だけ書いて渡したり(笑)
同じ「言葉」にしたって、「書くこと」と「声に出すこと」って大きな違いがある。
私は、圧倒的に「声に出すこと」が苦手です。どちらかというと「書く」ということのほうが得意かもしれない。同じ言葉なのにどうしてこうも得意・不得意がわかれてしまうんだろう。少し考えてみた。
①相手のリアクションが怖い(想像できない)
面と向かって声に出して伝えるということは、その場でリアルタイムで相手の反応を知るということ。なんとなく、こういう反応を返してくれるんだろうな~っていうときは、まず面と向かって言うか言わないかそれすら悩まないとおもう。悩むときって反応が分からないっていう怖さ、そして自分にたいする嫌悪を目の当たりにするかもしれないっていう怖さがあるからだと思う。誰だって、面と向かって嫌悪を受け取りたくないし、言うことで嫌な思いをしたくないっておもうことは全然不思議じゃない。
②感情をぶつけすぎる
手紙やメールだとそこにあるのは「文字」以上。でも面と向かって話すことは話してる「言葉」だけしゃなくて声の抑揚、大小だったり表情、身振り手振り、本当にやろうと思えば全身を使って「言葉」を着飾って表現することができる。それは、すごくプラスなこともある。嬉しいことだったり愛してるってことだったりそういうことは全身使って伝えたほうがより上手に的確に伝わる気がする。でも逆のこと。怒り、だったり悲しみ、不安って余計に伝わりすぎたりすることもある。愛の告白だって不安で不安で、だいすき!ということより不安だったり緊張が全身から先にあふれ出てきて、肝心の「言葉」が上手く思ったように伝わらないってこともある。何かに対する怒りだって、怒ってる事実から逸れてしまって、怒ってる事実を伝えたいのにただただ怒りをぶつけるためのツールに「言葉」がなってしまっている場合もあると思う。
③ただ単にめんどくさい
わかる。これ本当に。いや、伝えたほうがいいんだけどべつにわざわざ面と向かって言うまでのことか?っていう。相手からしても、「え、それだけのためにわざわざ会いにきてくれたんですか?」っていうこと。
以上がぱっと思いつくその理由。わかる。
これは、私が思いつく「声に出す」ことが「苦手」な理由です。裏を返せば、これはとてつもなく大きな利点でもあったりするんじゃないと、書きながら思いました。
相手のリアクションをリアルタイムで受け取れて感情をしっかりと表現できる。面と向かってのコミュニケーションは相手が見えないことが不安でもあるけど、相手の正体が見えない不安はない。相手が見えるからこそ、感情をぶつけすぎず「あ、言いすぎたかも。」とか相手の表情から読み取れて、そこにストップをかけられる。
丁寧にその人を思って、想いを「文字」にすることも、その人をその場を楽しみながら交わす「言葉」もとても愛にあふれた行為だと思いました。両方に強みもあれば、弱みもある。でもきっとどちらも相手を想っての言葉。
どちらも、得意・不得意で分けないで両方を楽しめるようになっていきたいとおもいます。
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