軽視される勘
最近の世の中の傾向として「勘」が軽視されている。しかし勘を軽視する人はたいていダメである。なぜか?
それは、現代はエビデンスベースドでは解決できない問題が増えたからだ。なぜ増えたかといえば、エビデンスベースドで解決されるような問題は、ここ20年でほとんどが解決された。そのため、相対的に「エビデンスベースドでは解決できない問題」がクローズアップされるようになったのである。
エビデンスベースドが全て悪いわけではない。それで解決できる問題もたくさんある。いやあった。しかしそれらは、この20年で世の中から一掃された。後には、エビデンスベースドでは解決できない問題だけが横たわっている。
例えば、「企業の盛衰」などというものは、エビデンスベースドでは計れない。だから、株価が乱高下するのだ。だから皆、企業の行く末を巡って右往左往するのである。
そこでは、エビデンスが全く役に立たない。そのため、勘が重要になってくる。しかしながら、この20年はエビデンスベースドがある意味猛威を振るったため、人々は勘の存在を忘れてしまった。過去の遺物として放り去った。
しかし今や、その考え方こそが「過去の遺物」である。これからは、エビデンス以上に勘が重視される。いやすでに、もうそういう世の中になっている。
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