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〇〇さんが言ってたよ。
「おばあちゃんが言ってたよ。」
と言われて、イラっとした。
そして「久しぶりだなあ、この感じ」と思った。
僕はどうも「〇〇さんが言ってたよ」という言われ方が苦手だ。
特にそこに僕を諭すようなことや価値観を押し付けるようなことが付いているときには。
一言でいうと「自分で言えよ」なのだ。そうでないと、話にならない。
なのに、そこにはいない「〇〇さん」を召喚獣のように呼び出し、語らせて、自らに都合のいいメッセージを届けさせようとする。非常に操作性のある発話だと思う。
相手は当人でない「〇〇さん」の発言にも、当人同様に反応する。罪悪感をもったり、なにか思うところを述べたり。でも、召喚獣の言葉だから本人には届かない。そして召喚した人は親切にその言葉を本人に伝えたりはしない。
意識的でないことが多いが、「〇〇さん」話法というのは、ある種の力の行使である。そして、本人が発言の責任を負わない点で、卑怯だなと思う。
もっとも「〇〇さんがほめてたよ」という場合もある。〇〇さんが自分にとって大事な人だったりすると、聞かされた側は気をよくするが、これとて召喚獣に変わりはない。
誰かの代弁をしようとして、事実を伝えるために「〇〇さんはこう言ってたよ」と言うこともある。しかしこれは経験上、驚くほど力をもたない。このときばかりは召喚獣であることがあからさまになる。
かほどに人は「ほめ」や「けなし」に弱い、ということなのかもしれない。
それが本来は力のない召喚獣の言葉であっても、「〇〇さん」という主語がつくことでまるで力があるかのように錯覚してしまう。
そんなことを考えていたら、ちょうどいま観ている『ベルサイユのばら』で、この話法が頻繁に使われていることに気づいた。
「王太子妃殿下がこうおっしゃっていました。」
「オスカル様がこうおっしゃっていました。」
「フェルデン閣下がこうおっしゃっていました。」
それはいつでも誰かを陥れるために使われる。
そして、当の本人たちは、その話法を使わない。
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